2014年6月16日月曜日

死者と未生への慰霊

沖縄から果実が送られてきた
慰霊の日も近い 梅雨の初夏に想う


大陸で死んだ人も
南方で死んだ人も
空襲で死んだ人も
沖縄で死んだ人も
特攻で死んだ人も
原爆で死んだ人も
中国人も朝鮮人もアメリカ人も日本人も
あの戦争をしてよかったと思っている死者は
どのくらいいるだろうか


戦争を始めたがるのは
いつでも生き残った人とその子孫たち
死者を代弁するのは
いつでも生き残った人とその子孫たち
子どもを持つ前に死んだ人には
孫もそのまた孫もいない


たとえどんなに悔しくても悲しくても
死者にはなにも語れない
生まれるはずだった彼らの子孫も
同じ過ちを止めることすらできない

たくさんの彼らは
ただおしだまって私たちをみている


生きている人だけで決めていいのだろうか?
この票決は じつに不公平である
戦争でもっとも深く傷ついた当事者には 投票権がない

死んだ人にできることはないのだろうか?
オマエタチモ ハヤク コチラヘ オイデと
呪詛をかけることくらいだろうか


死んだ人や生まれられなかった人のための 慰霊の日


彼らの死を美化し 感謝の気持ちを伝えれば
その呪いは解けるだろうか
そうやって
私たちもまた彼らのように立派に死ぬのだろうか

彼らの死を反省し 謝罪の気持ちを伝えれば
その呪いは解けるだろうか
そうやって
失われるかもしれない未来の命を救うのだろうか


たくさんの死者と未生の魂は
ただおしだまって私たちをみている。
笑いもせず 呪いもせず

2014年6月8日日曜日

研究室の茶会

新茶が入ったので、今日は研究室でお茶会をいたしました。


いただいたお茶は、静岡の前田幸太郎商店の「きらめき」。大走りの新茶を手づみし、生仕上げという軽く火入れをしただけの繊細なお茶です。


電子掛け軸には、歌川国芳の「金魚づくし」。グロールシュの一輪挿しにはあじさいを生けました。そして名物として長崎で拾った印判手の伊万里を置いてみました。



煎茶の茶器は薄手の「上野(あがの)焼」。力強い青緑釉と窯変した濃紅の縁取りがちょっと妖艶な雰囲気です。おかしは涼しさをさそう「くず桜」。


名古屋でそだった私は少し苦みの強いキレがあるお茶が好きで、九州のお茶は全般的にあっさりとして上品に感じる。それでもきちんと作られたお茶には、グルタミン酸などのうま味やテアニンなどの甘味がしっかりしており飲み応えがあります。そんなお茶を少し濃いめに入れるのが好きなのです。


とくに新茶は香りがよい。とろりと溶けてしまいそうな柔らかい薄黄緑の茶葉を低温でしっかりと入れます。


甘い物はあまり好きではないし、お菓子をたべると味がわからなくなるので、ふだんは食べません。1日4回のお茶の時間には、もっぱらお茶だけを飲みます。とくに早朝、寝起きの煎茶はガツンとくるので、一日のスタートに欠かすことはできませせん。


雪浦の童心窯で絵付けをし、焼いていただいた湯飲みがとどきました。さっそくそれぞれ自分が作った器に、八女茶を入れてみました。白磁に新茶の緑が美しく映えます。

 



2014年6月6日金曜日

「海うそ」島と海が好きな人のための書評

島と海が好きな人は、ぜひ。フィールド研究者も、ぜひ。


生命のにおいがする、湿った海と森の、暗くて重たい閉じた世界を歩く。薄皮をはぐような、その世界の変わり様を、島を訪れた人文地理学の視点から、丁寧に描写している。江戸から明治へ。そして私の父の時代。さらに私の時代へ。

そうやってよく知っている実際の人を、この物語に重ねてみると、ここに描かれている私たちの世界がたどってきた歴史と、現実の時間が、さらにくっきりと見えてくる。

さほど厚い本ではない、半分以上読み進めても、特別ななにかが起こりそうな気配はない。残りのページはわずかなのに、この物語はいったいどこに漂着するのだろう。読めば読むほど不安と期待をかき立てられる。こういうすてきな物語に共通するのは、このまま終わってほしくないという焦燥だ。

遅島は架空の島だ。たぶん甑島はそのモデルのひとつだ。そんな島を私も訪ねたことがある。世界遺産になって観光客が訪れるようになる前の屋久島。わずかな数の人々が宝物を慈しむように暮らしているトカラ列島の悪石島。旅行者の滞在を禁じていたバヌアツの孤島フツナ島は観光客に島を開き、海岸の崖に独特な集落を作っていた宮古の伊良部島にはまもなく橋が架かる。

物語では、人と生物がともに生きる世界の豊穣さが繰り返し語られる。本当はとても悔しい気持ちだ。失われつつあるものへの悔しさもあるが、私自身の悔しさもある。私もこういう本が書きたい。人類学者としてこういう研究がしたい。私ははやく自分の「海うそ」の話をしたくてたまらない。島のどこかに海うそは確かにいる。私もみせてもらったことがあるから、知っている。

「海うそ」梨木香歩 著 岩波書店 (2014/4/10)
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0222270/top.html

2014年6月3日火曜日

野研と風狂について考える

創作と制作

つくづく、むつかしいなと思う。


九州フィールドワーク研究会(野研)は1999年に発足した。野研とは、フィールドワーク研究に興味を持つ人たちのための研究会。学生も社会人も関係なく、ひとりでは実現が難しい野外活動や調査研究の実践と情報交換をするために集まっている。山、海、村、街が野研のフィールドだ。自然や人間からうまれる文化や芸術を野研のメンバーはみな愛している。


野研では、メンバーのひとりひとりが今やろうとしていることそのものがメインの活動であり、スター★ドームも大學堂も、これまで蓄積された野研の活動の副産物のひとつに過ぎず、決してそれらを維持するために今の野研があるわけではない。


野研には、これまでの活動の実績を評価されてか、不思議な人脈を経由していろいろなイベントや企画の依頼がくる。でも、ときおり感じる違和感がある。どうやら野研の活動と依頼者が望むイベントとは、共通する接点をもちながらも、根本的なところがなにか違うのではないかと思うことがある。そして、そこがよく誤解の原因になる。


野研では自分が楽しむために人を誘う。自分が楽しくないものは、ほかの人だって楽しくないだろうと思う。つまらないことに時間を無駄にする必要はないと考える。むしろ自分を表現したい人たちが集まっている。野研が目指しているのは「創作」である。


イベントが好きな人は、イベントをして人を集めることが好きである。イベントそのものが好きである。自分は裏方にまわったり、影の仕掛け人になったり、自分よりもほかの人を喜ばせることが好きである。イベントが好きな人がめざしているのは「制作」である。

同好の輩

先に書いたように野研には大学生だけでなく長く関わっているいろいろなメンバーがいる。同時に大学に拠点を置く野研にとって卒業と新入の新陳代謝は宿命であり強みでもある。毎年毎年、新しく来た人がその才能を伸ばす場所にしてくれればと熱い期待がかけられる。その一方で野研にあまり価値をみいだせなければ、だまって立ち去ってもよいという冷めた思いがどこかしらある。どちらせよ本人次第なのだ。野研にはなんの義務もなければ、なんの縛りもない。


むしろ心構えとしてもっとも大切しているのは、新しい人たちが自分でなにかをはじめる前に、受身にならないよう気を使うことだ。すでにいろいろなことをやってきた古くからいる人たちを前に、新しい人たちが遠慮したり萎縮したりしないように、関係性づくりにかなりのエネルギーをかけている。野研のような場所にとっては、古くからいる人と新しい人が、互いに敬語を使わないでも、同好の輩として対等な立場で議論できる関係を築くことが、常に新しい創作を追求するために不可欠な要素だからである。


それでも中学生からかけられた日本文化固有(たぶん韓国もね)の先輩後輩関係の呪縛を解くのはたやすいことではない。とくに体育会系の風土に育った人は、新しい人にとっても、古い人にとっても、思いの外、困難な課題のようだ。さらに、そうした野研のスタンスをまわりの人に理解してもらうには、もっと大きなエネルギーがいる。


野研ではメンバーになった瞬間から、プロとしての仕事を意識するようにと言われつづける。だれかのお手伝いではなく、結果も責任もきちんと自分で引き受けられる仕事をするように求められる。これは自分の行動を、だれかのせいにできないということだ。はじめからうまくいくとは限らないが、そうした活動を通じてメンバーは成長し、野研は周囲の評価と信用を築いてきた。


同時に、その道の達人や面白い人をリスペクトし、こちらもそれを越えるなにかを作っていく。相手を尊敬するからこそ相手のために自分の能力を使う。しかし、同時に何とかして相手からの尊敬も勝ち取る。ずうずうしく傲慢かもしれないが、自分もひとりのアーティストとして成長するためにはこの道しかない。そしてこれは、互いの尊敬がなければ成り立たない世界である。


旦過市場の中で大學堂がうまくやれているのは、市場の人たちが大學堂を単なる学生のボランティアだとは考えず、ユニークな個性と能力をもった一人の店主としてあつかってくれているからだ。成功の秘密はそこにしかない。


内に対しても外に対しても、同好の輩として共通の志を感じてくれる人は、同時に野研のメンバーをとても大切にしてくれる。そういう人とは、これからもずっと一緒にやりたいと思う。


負の共犯関係
でも、このごろはすこし、むつかしさを感じている。

かつては・・・たぶんまだ10年くらい前までは、そういう変な若者を面白がり愛でる風土が日本にはあった。若者も若者で無軌道で無茶なことを実現するのが、自分たちの役割だと思っていた。少なくとも今いる大人はそうやって大人になってきたはずだ。


就活、就活、とさわぎはじめたあたりから、日本中で変なことが進行し、もう止まらない。


いつのまにか、若者たちは、お金や報償で人に使われることをほとんど疑わなくなった。あいた時間はすべてアルバイトにつぎこみ、就職に有利だからと、与えられたボランティアにいそしむ。シフトも作業内容も他人が決めてくれる代わりにそれ以上の責任もない。あたえられたことだけをこなし、自分でものを考えない人が有利な就職ってどんな仕事だろう。そこに、なにか大人の嘘があるとは思わないのだろうか。


大学も地域貢献と称して、成績や単位を餌に街におおっぴらに学生たちを送り込む。この大人と若者による負の共犯関係が、これまでにないほど状況をおかしくしている。しかし残念ながら両者ともにあまりその自覚はない。その方が楽だからそれでいいのだろう。


うちの大学も数年前からそんなことを始め、北九州の街の人たちに悪い癖をつけてしまった。今や若者は何をしでかすかわからない不敵な存在ではなく、「学生」という名の、なんでもいうことをきく素直で便利なお手伝いさんに成り下がってしまった。


山の上で茶を点てて飲もうなどという風狂の趣向におおいに賛同し、自分たちもそれを越える遊びに興じようではないかという同好の志は、互いの対等な尊敬がなければ決して成り立たない世界である。若者を軽くあつかう大人たちも、志を持つ若者たちの方から、一緒にやれる相手かどうかを瞬時にして見抜かれてしまっている。少し前までは、そんなかっこ悪いことはなかったのにと思うと、かえすがえすも残念である。


今となっては、なんの打算もなくそんな風狂を楽しむことは、もうかえってむつかしいかもしれない。それほどこの共犯関係は強固に現在の私たちを縛っている。