2015年4月23日木曜日

大友克洋監修アニメ映画『MEMORIES』

大友克洋監修のアニメ映画『MEMORIES』(メモリーズ)をみる。



地下鉄サリン事件と阪神淡路地震が起き、Window95が発売された1995年にこの映画は公開された。あるいみSFというジャンルが文学でも映画でも、まだ何かしらの批判的力を持っていた最後の世代の映画であるもいえる。このあとSFは、ファンタジーや兵器マニアに解体され失墜していく。

おもしろかったのは、3話のオムニバスからなるこの映画で描かれている世界が、その20年後の現在すでに現実化しており、しかもそれがきわめて凡庸で日常的な現象におちついてしまっていることだ。

1話の「彼女の想いで」は仮想現実と日常現実との葛藤だ。たとえばインターネット上のSNSを見てもわかるとおり、すでに私たちは、実際に自分が体験した日常現実と、ネットのどこかでみつけた仮想現実を、ほぼ対等なものとしてあつかっている。そこには大きな葛藤もなければ錯乱もない。いや両者を混同している時点で、すでにこれは完全な錯乱状態なのだが、多くの人々はそれに気づいていない。

2話の「最臭兵器」は、同じ年に起きた地下鉄サリン事件を強く意識したものだが、むしろ暗示されているのは放射能汚染である。映像で描かれている風景や対応は、まるで福島の事故のニュースを見るかのようだ。そして今やこれもまたSFの世界ではなく日常化している。日本には赤色に塗られて人が入ることができない場所がある。映画の中でアメリカが出てくるあたりに関しては、現在ではまったく笑えない冗談になっている。

3話の「大砲の街」はある国の学校や会社での一日が舞台である。当時であればまるで社会主義国を思わせるようなこの前時代的な風景が、じつは自分たちの未来の姿であったとは皮肉な話である。あの時代よりも「進撃の巨人」のような中途半端なプロパガンダ作品がもてはやされる閉塞した今の時代の方が、この映画に共感するものも多いだろう。

バブルの真っ最中、日本がもっとも自信を持ち、これからより民主的な方向に舵を切るだろうと思われていた矢先の前世紀末に、地下鉄サリン事件と阪神淡路地震がおきインターネットが実現し、現実が物語を抜いていった。その20年後の日本になにが起こるかを予想していた大友の物語的感性は鋭いが、現実はその予想以上に凡庸で陳腐で日常的だった。

だからといって彼のこの警告が無効であるというつもりはない、むしろ20年の時の間に感覚が鈍り、今の状況を当たり前の日常と受け入れてはじめている私たちこそ、あの時代に立ち返り、思い出すべきなのかもしれない。もはや異常事態なのだと。もはや私たちはあのSFの世界を生きているのだと。

2015年4月10日金曜日

善き人のためのソナタ「顔が見える隣人」

映画「善き人のためのソナタ」を見た。人間の弱さと強さと、怖さと悲しさと、絶望と希望を見た。

http://www.albatros-film.com/movie/yokihito/

まだ見ていない人は見るとよい。人間の弱さと強さと、怖さと悲しさと、絶望と希望を見るだろう。

1984年のこの時代、まだ技術の限界のおかげで、相手が顔が見えない匿名の存在ではなく、顔が見える隣人であったことが、この映画の中で人間性という細いクモの糸をつなぐ「唯一の希望」になっている。そしてそれは「人間とはなにか」を考える重要な手がかりになるだろう思った。

一方で情報化技術の進歩によって、匿名の池で「個人」がまるはだかにされている今の私たちは、もし再びこんな時代がやって来たら、たぶんひとたまりもないだろう。人間に出会う前に、絶望の淵の中に粛々と粛清されるだろう。

奇しくも、東ドイツから日本に住み、長らく北九州で演劇をしていた舞台演出家のペーター・ゲスナーに10年ぶりにあう。こんどの日曜日、八幡のデルソルのホーメイのライブ会場で・・・。とても楽しみである。いろいろな話がしたい。

愛するものを守るために

勉強熱心なあのひとも、この本を読んであの島に行ったに違いない。
「ペリリュー・沖縄戦記」 (講談社学術文庫)


ネトウヨの方むけにいえば憂国日本人必読の書。これを読まずして、今の沖縄は語れない。そしてその後の広島・長崎への原爆の運命も、すべてこの硫黄島とペリリュー島の戦いから始まる。私自身も数年前にこの本を読み、「ああそういうことだったのか」といろいろな不条理に納得がいった。そしていつかペリリューを訪ねてみたいと思った。

勇猛な兵士たちが愛するものを守るために、必死になって戦えば戦うほど、引き返せなくなり、状況は悪化し、悲惨な事態はエスカレートし、結果的により多くの愛するものたちを死に追いやることになる。

残念ながらこの不条理は皮肉や偶然ではなく必然だ。「本当に愛するものを守りたければ、戦いをやめなければならない」繰り返すがこれは、敵も味方も、正義も悪も、主義や主張も関係のない、冷徹な歴史の必然だ。

では、いつ「戦わない」と踏みとどまるのか。戦いはいったん進み始めると、止めようとする力を押しつぶしながら破滅にむかって級数的に加速する。そもそもまだ情報も言論も保証されている平時にすら止められないことを、政治も経済も学問も人々の気持ちも、あらゆる力が戦争遂行というひとつの目的に合流していく有事の時に止めることなど、とうてい無理である。

国を憂うあのひとも、まさに今その島で、いつ踏みとどまるべきなのかを考えているのかもしれない。私たちもそれを考えなければならない時期がきたようだ。

2015年4月7日火曜日

春です

つぎつぎに女王の洗礼をうける新入生たち


面白い人たちがやってくるといいな


春です花が一斉に咲きました


ミツバチたちも元気に飛び回っています


粛々の意味

【粛々】しゅくーしゅく
相手の気持ちを考えず、声に耳を傾けることすらせず、ただ機械的に命令にしたがうこと。上から目線。
例):粛々とユダヤ人をガス室に送る。<関連語>粛清・自粛・アイヒマン
ここ数日、粛々という言葉の検索が急増している。これまで使われていた言葉に新しい意味が加わり、その確認のために、みなが調べているようだ。

ハンナ・アーレントは言った「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪である」。今の時代の悪は粛々とやってくる。

2015年4月3日金曜日

桜の春にドローンの飛ぶ

第一回ドローン研究会(略称:ド研)に参加した。



最近、すごい勢いで普及がすすんでいるドローンの研究利用のための勉強会である。


会場は京都の二軒茶屋にある「総合地球環境研究所」。なんとも物々しい名前の研究所だが、実際になかなか物々しい建物なのである。


ドローンで実現したいそれぞれの研究課題、最新のドローンの実演、飛行の練習、ドローンを使った地理情報収集の実際、ドローンと組み合わせるさまざまなツール、飛行前の注意点と飛行中のトラブルの検証、などなど2日間にわたり討論をすすめ、充実した内容の研究会となった。


実際に、ドローンの先達のマシン改造や試行錯誤はとても興味深かったし、まだまだやれそうなことも多いように感じた。


映像撮影だけでなく簡単に人が行けない場所でのリモートセンシングへの応用はアイデア次第だ。飛ばすだけで満足している私はまだまだ甘い。


もともとそんなに安いものではないが、それでもどんどん価格は下がってきており、今はできないことも将来的には実現する可能性が高い。そのための準備を今のうちに進めておこうというものだ。

DJI Inspire 1 の着陸シーン・アームの動きに注目

まあ、理屈はいろいろあるが、空を飛びたいという人間の欲望をこんな形でかなえてくれるドローン魅力は説明するまでもないだろう。まるで子供のように夢中になるメンバーの姿がそれを端的に表している。


桜が満開の京都の北山を気持ちよさそうにドローンが高度を上げていく。


というわけで私が目指している空中人類学も、また一歩野望の実現に近づいたのである。


乳頭温泉鶴の湯への道

長津夫妻と、乳頭温泉鶴の湯を訪ねる


開湯1688年の秘湯中の秘湯


バス停から雪山を見ながら40分ほど歩く


寒いが日差しは強く気持ちいい


山奥でもすでに雪解けははじまっている


遠くに見える山々が美しい


ついた!


湯治場の趣がとてもよい


この奥に露天がある


雪見の湯は最高だ


極楽極楽


学会の研究発表も無事終わり、久しぶりにリラックスした1日

秋田・大森山動物園をたずねる

熱帯の国から一気に雪国秋田へ。


どこまでも続く冬の日本海。


雪は溶けたが、まだ荒涼とした風景の中で
動物たちの骨をすり抜ける風が
かすかな音をならす


冷たい海で暮らす海獣は寒さ知らずだ


ビーバーは凍えた手をすりあわせ
丸太がほしいと訴える



コモンマーモセットの親子は好奇心が旺盛だ


赤ちゃんにとっては何でも不思議


毛布をかぶるチンパンジー
衣装の起源は、やはりファッションではなく防寒か


延長がきて喜ぶ若い雄


うれしすぎるぜ


うれしすぎて大暴れ


夜は、秋田の名物をいただきました


小松園長ありがとうございました


お約束のきりたんぽ鍋でしめました