2016年6月21日火曜日

若冲の図録を最新科学で分析する

注文していた若冲の図録がようやく届いた。

この頃はなんだかブームみたいなことになってしまい、学生時代から好だった私にとっては複雑な思いだ。


最初に若冲の絵を見たのはいつだったろうか?2000年の大展覧会の前に、どこかで絵を見た記憶があるが、思い出せない。江戸期の博物画をあつめた小さな展示ではなかったかと思う。大根が横たわる「果蔬涅槃図」に衝撃を受けた。


当時の若冲は芸術性と言うよりはむしろ博物画としての描写が評価されていたと思う。いずれにせよ多くの江戸絵師のひとりにすぎず、しかもやや際物あつかいで、作品が見られる機会も少なかった。最初のブームは2000年の京都国立博物館での展覧会から始まった。


研究室に3冊の図録が本棚に並ぶ。本物の質感にはおよぶべくもないが、ときおり眺めては楽しんでいる。「玄圃瑤華」がとりわけ好きだ。


さて、その図録である。この16年の間に撮影や印刷技術もさぞかし上がっただろうと、新しい図録を楽しみにしてた。たしかに比べてみると図録によって同じ絵でも見え加減がずいぶん違う。


実際のところどのくらい違うだろうか、デジカメの顕微鏡モード400倍で比較してみた。

2000年「没後200年 若冲 Jakuchu! 」2500円

2009年「若冲ワンダーランド」3000円

2016年「生誕300年記念 若冲展」3000円

なんと、最初の図録がもっとも印刷が細かく質がよいではないか。16年の技術進歩を期待していただけに、そのあたり、かなり残念である。

ちなみにこれは魚部の「紫川大図鑑」の同じ倍率。北九州のマツモト印刷という卒業写真をあつかう印刷会社が作っている。


これが最新の高画質印刷機の実力である。4色網かけではなくドットをちらして色を表現しているのがわかるだろうか。魚部図鑑の写真は、このクオリティで印刷されているのだぞ。細部にこだわるかの若冲が魚部に負けてしまったとは、なんとも残念である。

2016年6月20日月曜日

選挙と政治を楽しむために

18歳選挙権を手にした子に不在者投票宣誓書を送る。最初の選挙からいきなり日本の未来を左右する重たい選挙だ。まあ、選挙ってのはおおかたいつも重いんだけどさ。


選挙ってどう考えたらいいのだろうか、わかりやすいアドバイスを考えてみた。


もっとも明快な選択は、自分の社会的境遇に近い人に投票するという方法だろう。


私たちの社会は、代表民主制を採っている。つまり議員とは、私の身代わりとなって政治の場で意見をいう人なのである。さまざまな異なる境遇や利害を持つ人が、それぞれの意見の代表を選び、議会で討論してもらうというのが代表民主制の趣旨である。


だから、もっとも自分に近い立ち位置の人を探して、自分の代表に選ぶという方法がその趣旨にかなっているというわけ。

学生なら学生
女性なら女性
社長なら社長
平民なら平民
のんきなひとはのんきなひと
うそつきはうそつき

より自分の属性との重なりが多い人を選ぶ、というのがこのシンプルな原則。まあ、そうなると二世議員を選ぶ人は、親の七光りで生きている人ということになるよね。候補者の経歴を調べるのは、よくわからない選挙公約を理解するよりずっと簡単だし、たぶん楽しい。


むろん当選した議員は、特定の人の利益のためではなく法に従い国民全体の代表として働く義務があるのだけれど、たとえばお金持ちに貧乏人の気持ちを理解するのは難しいだろうから、自分の意志を政治に生かすためには、候補者の属性は大事なポイントだよ。


そして、絶対に避けるべきなのは、人気投票や勝馬投票だ。議員はアイドルや競走馬ではない。誤解している人も多いけど、政治の選挙は、握手した人に入れる義理もないし、入れた人が勝てばいいという賭け事でもない。

むしろ逆だろう。握手したから入れるなんて完全になめられている。自分の意志を投票で表明しているのだと考えれば、たとえ支持した人が負けても、それはそれでかっこいいスタンスだ。同じ意味で、政党名で決めるというのも、なんか他人任せでかっこわるい。政党が人数合わせでひどい候補者を公認するなんてことは、ざらにある。テレビで泣いてた誰かさんとかさ、昔からそんなの多いよ。


むろん現実の政治は難しい。利害も交錯するし虚言甘言も多い、自国だけでなく国際的な視野も必要だ。過去の歴史とこれからの未来がかかっているのだから、難しいのは当然である。もしさっきのシンプルな原則のうえで、さらにもっと難しいことを考えて判断したいのであれば、それもできるだけ考えた方がいい。


たとえば、なにかと話題の今回の18歳選挙権。私もこれでいいと思うし世界的潮流でもある。でも今の状況での突然の可決は、かつての普通選挙法と治安維持法の抱き合わせを連想させて不安も感じる。日本史で習ったあんなことが再び起こるのだろうか。そこには政治家たちがたくらんでいる、飴と鞭の裏側があるのかも。

そんな政治家の思惑や歴史的背景も考えてみるのも、政治や選挙の楽しみかもしれない。なによりも政治は自分たちのことなのだから楽しまないとね。

2016年6月15日水曜日

水の街、小倉。神嶽川を歩く。


お客さまをお連れし、神嶽川を船場から古船場まで歩いた。


「素晴らしい、こんな場所がまだ日本に残っていたとは」としきりに感心される。


私たちには見慣れたあたりまえの風景でも、見る人が見ればとてもすごいものらしい。


「ぜひここに船を浮かべなさい」といわれた。


「実はもう浮かべたことがあるのです」とはいえなかった・・・。わたしも浮かべたい。


およばずながらこれまで私が調べてきた、江戸から続く小倉の街と人と水の関わりの歴史を、ひととおり進講する。








「いやはや、これは柳川以上の文化資源ですよ、世界にほこる財産になります」


「うー、ごめんなさい」。


8年も旦過に店を持ちながら、あんまりマジメにやってこなかった自分を反省した。