2011年3月14日月曜日

福島原発事故について

投稿日:2011/03/13(Sun) 12:18
 Hさんへ

 政府はしきりに想定の範囲をこえる災害のためといっているけど、たいていの事故は想定の範囲外で起こるもので、もし仮に想定の範囲内で事故が起きたのであれば、それは事故ではなくて人為か錯誤だ。

事態が想定の範囲を超えたことは、何のいいわけにもならないし、もっと深刻な想定をしていたデータはいくらでもある。ただ、それを無視し続けていただけのことだ。

今のところ大きな被害はないので安心してほしいと、問題はないかのように政府は繰り返し宣伝するが。本来であれば人命の救助にさかれるはずの貴重な人員や情報が、原発のために費やされていることを思えば、すでに問題は起きているのである。

かつて大林宣彦監督は、「原発のこともっとみんなで考えよう」と擁護キャンペーンをしていたが、今も同じことをいうのだろうか。監督にはあらためて、よくよく考えてほしいものだ。

同様に「環境に優しい」「二重三重に安全」といっていたお抱え学者やタレントたちはどうするのだろう。いってしまったことはもう取り返しがつかないから、せめて良心がとがめるなら、そのときもらった莫大なギャラだけでも返した方がいい。いまなら被災地に寄付するという手がある。

これは16年前の阪神淡路の地震の時に私が書いた文章である。
http://www.apa-apa.net/kyojin/news/kk0056.htm

私はそのとき京都にいた。



投稿日: 2011/03/13(Sun) 16:14:18 
Mくんと
Mさんへ
それはともかく、

原子力資料情報室の記者会見は、できるだけ一生懸命、一般の人にもわかりやすく説明しようとしているのがよく伝わります。随時、状況を分析して、知りうる範囲で情報を提供していく役割も非常に重要だと思います。

http://www.cnic.jp/

不十分な情報とセンセーショナルな映像を、繰り返したれ流し続ける一般のテレビのやり方よりは、結果的に多くの人々を助けることになるだろうと思います。

本当に国民の安全を考えるのであれば、ほんらい政府が専門家を呼び、こうした記者会見をすべきなのです。

原子力資料情報室のメンバーが、知識を持つ専門家としての責任を果たしているという意味で、学ぶべきことは多いと思っています。たぶんプロとしてほかの現場でも、いろいろな情報を流している人がいるのだろうと思います。

わたしたちが節電をしようがしまいが、本当に現地で電気が必要であれば、送電を切り替えることもできるでしょう。どんな効果があるのか不明なまま、呼びかけだけが先行しています。朝から変なメールが飛び交っています。多くの善意が、こういうかたちで、ただのガス抜きになってしまうことを、むしろ私は憂います。


投稿日: 2011/03/13(Sun) 21:27:18 
Mくんへ
そして違和感を感じている人へ

こんな風に考えてみてください。

たとえば戦争で兵隊が闘っているとしましょう。しかし国力の差を考えない無謀な作戦で、いくつもの全滅が起きたとしましょう。それでも国は戦争を遂行します。

だから国民には正確な情報をあたえません。いつまでも勝ち続けているかのように伝えます。全滅ではなく玉砕です。水際作戦です。日本には神風が吹きます。大丈夫です、安心してください、協力してくださいと言い続けます。

そんなときに、たとえば、もう以上戦争を続ければさらに多くの国民が犠牲になることに気づいた人が、もうこんな戦争はやめるべきだと声を上げます。それは想像以上に勇気のいることです。

しかし多くの国民は、こんな時こそ兵士に励ましの手紙を書き、みんなで支援すべきだといいます。戦争をやめるなんて「こんな有事の今いうべきことではない」といいます。みんなして反戦の声を抹殺します。

そして結局、無謀な戦争から引き返すことができずに、国土は焦土となり、多くの人が命を落とします。

私は、もし自分が前の戦争のときに生きていたら、はたして沢山の人々の命を救える側にいたのか、殺してしまう側にいたのか、ときどき考えます。

戦争が終わってからは何とでもいえますが、戦争の最中に自分で考えて、さらに声を出すことはとても困難なことだと思います。しかしだれかがそれをいいはじめなければなにも変わりません。

地震は天災ですが、原発の問題は、私にとっては今回の事故が起こるずっと前から人災です。

だから、こんな事態になっても、まだみぐるしく情報を隠蔽し、問題を電力不足にすりかえ、国民に節電をうったえる為政者に、心底許せないものを感じています。

無知につけ込まれたたくさんの善意によって、だれもがあの戦争から引き返せなくさせたのとおなじように、ガス抜きの善意では自己満足にはなっても誰も救うことができません。

私はきちんと人を救いたいのです。そして本当に救おうとしている人を尊敬します。

投稿日: 2011/03/14(Mon) 09:04:18 
わたしたちにできること


もしわたしに、知り合いがいれば、まあとにかくおちついて、一刻も早く原発から離れた方がよいとアドバイスするだろう。おそらく政府関係者や事情がわかっている人は、すでに個人的にそういう動きをしているるはずだ。炉心爆発が起きたあとでは、手遅れで、多くの人はもう逃げられなくなるからだ。

「絶対に」起こるはずがないといわれた炉心溶融が起きていた。もしこの溶けた燃料で原子炉圧力容器が破損し、さらにメルトダウンや炉心爆発がおきれば(今日の時点で、まだその心配がなくなったわけではない)、津波や地震の被害どころではない。炉心にある燃料の量にもよるが、半径数100キロ以内の放射能急性死亡率は45%。厳しい避難基準では半径400キロメートル以内に人が住めなくなる。福島県はおろか関東と東北一帯に人が住めなくなる。(あとで述べるように、これは実際に起きた事故をもとに推測した控えめなみつもりであり決して大げさなものではない)

こうなるともう支援とかボランティアとかいうレベルではない。もう人の手には負えないのだ。

そして実際にこの炉心爆発が起こる可能性はどのくらいだったのだろう。いちばん国民に知らせるべきことはその危険性だが。政府は情報を流さなかった。事故が起きて4日になる今も、十分な情報が伝えられていない。

すでに明らかにされていることだけでも、限界値4気圧の倍の8気圧にまで格納容器内部の圧力はあがり、排気弁からの放射性ガスの放出と、水素爆発、原子炉格納容器全体への海水の注入という、予期せぬ事態の連続に、綱渡りで乗り切ろうとしているようだ。

万が一のことを想定して避難勧告を出したと政府はいうが、実際に事故現場でおこなっていたのは、万が一ではなくてイチカバチカかの対応だったことがわかる。

これが、たとえ数パーセントの危険であっても、そんなことに自分の命を預ける必要はない。一刻も早く、パニックが起こらないうちに逃げるべきである。運良くなにも起こらなければ黙って帰ってくればよい。

かつては大学の講義でも使い、私のホームページなどでなんどか紹介している本だが、京大で原子炉実験所の助手を務めていた瀬尾 健の、専門家の手による原発事故のシミュレーションの本を紹介する。事故が起きたときの時間ごとの被害の経過、避難のタイミングや方法を実際に役に立つように(そんなことがあってはいけないのだけど)くわしく書いてある。


原発事故…その時、あなたは! [単行本] 瀬尾 健 (著)

出版されたのは1995年だが、幸いなことにまだ売っている。著者は病床でこの本を書き、その後なくなっているため最新の原発の情報はないが、内容は古くなっていない。自分と自分の大切な人の命を守るために読んでおくと良いと思う。被災地でも具体的に役に立つだろう。知り合いがいれば送るとよい。

あと、災害小説家(クライシスノベル?)の石黒 耀の、「震災列島 (講談社文庫)」もとても参考になる。地質学マニアの彼は(本業は医者?)、今回の事態とほぼ同じ状況を、専門家も認める正確な知識を元に小説化している。ただし場所は南海トラフ、メルトダウンが起こるのは浜岡原発である。

ついでに、九州(とくに宮崎・鹿児島)の人は、彼の「死都日本 」を読んでおくべきである。小説としてはこちらの方が私は好きだ。幸いなことに両方とも文庫で手に入る「講談社文庫」。

以上、わたしたちにできること「その1」。なにが起きているか正確にを知ろう、でした。

PS 東京に送る電気のために福島に作った原発が事故を起こしたのであるから、東京の人が電気を使えなくなるのは当然である。それを「みんなで節電して現地を助けよう」などと、まるで自分たちがなにかをしてあげているかのように語り変えるのは、まったく無神経でずうずうしい話だと思う。

投稿日:2011/03/17(Thu) 10:02 
現時点で九州に住むわたしたちができることは、今起きていること、そして今後起きるだろうことについて、家族や友人と情報を共有し様々なシミュレーションをし、準備をすることです。

私のところでも、阪神淡路大震災の時のことを再確認し、東北や関西から親戚や友人が避難してきた場合なにができなにが必要かを検討しています。

あのときもすぐに現地を(見に)行きたい人が殺到しました。でも救助の人も食料や水を消費するのです。ものも殺到しましたが、流通ができていないと必要な人の所にはとどきません。今の時点の現地では、組織で動ける人は別にして個人でできることは限られてます。

現地が人を必要とするのは、もう少し後のことです。むしろ1年後とか2年後の復興なのかもしれません。阪神淡路の時も、これからというときに多くのボランティアは帰っていきました。報道が終わると、熱が冷めるのです。でも実際の現地の戦いはそれからなのです。またぎが休みを取って行くなら(めだたないけど)そのときです。

原発についていえば、必死の対策で食い止めようとしています。事態はまだ進行中ですが、当初の楽観的な雰囲気はさすがに消え、新聞などを通じて(テレビは本当にだめですね)、危険性の認識は少しずつでも広がっていると思います。被災地の救助もまだ十分に進んでいません。

阪神のときはたくさんの人が京都に逃げてきました。マスコミはあまり報道したがりませんし、おそらく把握も難しいようですが、個人の情報では、すでに自主的に避難している人が増えているみたいです。ましてや今回は原発のことがあるので、まだこれからどうなるかわかりません。今朝の報道では、米軍も福島第一原発の半径約80キロ以内から撤退したようです。

ひとびとが動くのはこれからです。週末あたり冬型がゆるみ、風向きが東風になれば首都にも影響が出るはずです。

繰り返しになりますが、九州のわたしたちが今できることは、なにが起きてもムードに流されず(むしろ疑い)、自分でさまざまな状況を予想して、できるだけ的確に行動すること。家族や友達に必要な情報を伝え検討し共有すること、避難してくる人をうけいれる準備をすること。半年後に必要とする本格的な復興に力を貸すことです。

あと蛇足ですが、とても気になるので、書いておきますが、本当に募金でいいのかも考えてみてください。

本当のところ私はいまの募金やりかたに、とても問題があると感じています。テレビやネットで報道される金額の多寡の公表は、まるでこの機に乗じた企業や個人の売名行為や宣伝のようにおもえます(宣伝費だと思えば安いものです)。たとえ匿名であっても募金や寄付は一つ間違えば「善意の愉快犯」です。

ほんとうに相手に対する気持ちからであるなら、黙って、ましてや金額などをひけらかすことなく、ひとりでこっそり寄付しましょう。旦過市場や大學堂も「いくらあつまりました」「いくら持ってきてくれました」などと、あおらないようにブログの書き方に気をつけてください。

募金がだめなのではなくて、多くの人の善意の募金を、旦過市場や大學堂の宣伝につかわないように気をつけるということです。募金にとっていちばん大切なのは金額ではありません。募金はむしろ私たち個人個人の災害に対するやりきれない気持ちの納得です。実際に災害や復興に必要なものはすべて税金で対応するのが国民国家としての本筋です、それを忘れないでください。

投稿日:2011/03/18(Fri) 10:02 
書くべきか書かないべきか迷いました。あくまでも私の推測です。あとになって「杞憂だったね」と笑って話せればそれでよいと思います。私の知っている人だけに考えを伝えておけば、よいことだと思うので、最後までは書きませんが、考えてみてください。

朝起きるたびに、想定していたことの一番悪い方の事態がすすんでおり、ここに書くと、すべて2日後ぐらいにそのとおりになってしまうようで怖いのですが、東の風が吹き始めました。

関西の宿が取れなくなり始めているようす。もともとの観光の予約もあったと思いますが。連休で電気の不自由な首都あたりからプチ疎開してきているひとも増えているだろうと思います。

この状態が続くと次は首都機能の低下が心配です。そのときになにが起こるかを、今のうちにすこし考えておいた方がよいと思います。どのくらいの機能が分散できるのかは知りません。さまざまな国の機能の中でもとくに東京に集中しているものから不都合が起こりはじめると思います。

旅に出るまえに準備が必要です。

Hくんはいったん東京にかえりますか?Iちゃんには帰らないように伝えてください。



この一連のスレッドは、九州フィールドワーク研究会(野研)の掲示板に投稿した私の書き込みを(より正確を期すためいくつか修正しています)引用したものです