2014年11月24日月曜日

色鮮やかで光るものに対する人類の普遍的な嗜好

昨日、九州国立博物館の故宮展を見に行った。すぐ目の前で20万人達成。太宰府インターをおりてから大回りせず、政庁跡の前の道を抜けていれば・・・と、激しくくやまれる。で・・展示は・・・、なんというんだろう、まあたしかにスゴイのだけど。


色鮮やかで光るものに対する人類の普遍的な嗜好性というのはよくわかった。職人たちの飽くなき探求と、権力者たちの欲望の対象についても、いやというほどよくわかる。しかし、この四海から集められた色鮮やかで光るものは、今やありふれたチープな素材のテイスト感をだしている。なぜだ。
漆や金や玉などかつての珍品財宝は、今やどこにでもあるプラスティックとステンレスとガラスで表現できる。むろん、手間や技術を考えれば全く違うものなのだけど・・・。判で押したような精巧さと、緻密さは、むしろ近代工業の得意分野だ

どっちが本物?レプリカ?わかる?

だから本当に申し訳ないけど、ついでにみた常設展の土偶や縄文土器の方がぐっと来たのである。近代がとても思いつけない質感と表現。

2014年11月21日金曜日

チリモンに夢中

こどもが、チリモンに夢中だよ。「食事中にチリモンで遊ぶのはやめなさい」とおとうさんが注意しても聞かないぞ。



「やったーあ、レアキャラ、ゲット」と喜んでいる。「なになに?」とのぞきこんだら、「ゾエアかも」って。「おお!たしかにゾエアっぽい。」


チリメンモンスター図鑑で調べてみたよ。ヘイケガニのゾエアだって。かっこいいよね。

全天空のスター★ドーム

全天空のスター★ドーム - Spherical Image - RICOH THETA

お家で『おかわり』大學丼

お客さんのリクエストに応えて、大學堂で使っているお米を販売することになったよ。


いくつかのデザインの中から選んだ確定版が下のふたつ。


クリスマスバージョンや謹賀新年バージョンも登場する予定だよ。

ちゃんちゃんこ

平尾台に行く途中でイタチがひかれていたよ。持って帰って皮をむき、明礬の液につけたよ。


うまくなめせるかな?ちゃんちゃんこを作りたいけど、これでは小さいね。

旧岩田酒店の酒蔵コンサート

先週の土曜日は、門司港の旧岩田酒店の酒蔵コンサートに行ったよ。


先週と今週がなんと500回記念公演。すごいよね。


毎週土曜日の夜7時から。かつての門司港の栄華を感じながらの贅沢な2時間。よそから来たお客さんをつれていくといつもうらやましがらられるよ。とくに海外の人とかね。ちょっと自慢したりして。


声楽家の岩田基さん。こんな方が身近にいて、こんなステキな場所で最高の音楽が聴けるというのが、北九州の底力だと思うよ。


今週末も500回記念第二弾。毎週土曜日の夜だよ。デートのシメに最高だよ。

2014年11月20日木曜日

トラウマのしっぽをふむ

北九大の本館の入口を入ってすぐ左手の壁(いわゆる「本館ロビーの掲示スペース」)は、専用のスポットライトとアルミのパネルがしつらえられ、もともと掲示板として用意されていた場所なんだ。けど、実際には長いこと放置されたまま、ほとんど活用されてこなかったよ。


数年前、ある会議の際にその場所の活用を提案したら、「入試広報課の管轄になっている」と教えられて、すぐ課長を紹介されたよ。この当時の事務局長や入試広報課長は、野研の活動や「大學堂」が北九州市立大学の地域貢献に寄与していると積極的に評価してくれて、とっても好意的だったよ。大學堂にもよく遊びに来てくれたしね。


そして「入試広報課には学生課や就職課(キャリアセンター)と違い、出入りする学生が少ないのでなかなか自前の掲示物を作るところまでは手がまわらない、協力してもらえないか」と逆に掲示作成の話を持ちかけられたんだ。これは、まだこの大学に北九州市立大学地域共生教育センターもなく、地域創生学群も本格的な活動をはじめる前の話だよ。


こちらとしても、いい話。今までも学生とともに活動成果とか、さまざまな展示をしてきたけど、こういう経験から「人に伝える」ということを実地で学ぶことができるんだからね。


学生たちとは、同じものをずっと貼りっぱなしにしない、クオリティの高い展示を心がける、楽しんで見てもらえるようなものを作る、新しい展示表現をつねに考える、などの大事な方針を立てて、おおよそ3ヶ月に1回ほどの頻度で内容を変えながら、趣向を凝らした展示をたくさん試みてきたよ(それが上のいくつかの写真たちね)。


そんな学内が少しずつおかしくなり始めたのは、新しい事務局長や総務課長が市から出向してきた、2年ほど前からかな。

ちょうど1年前。つまり昨年の10月のこと。突然、総務課長が入試広報課長といっしょに研究室にあらわれ「一週間以内に本館ロビーにある掲示をはずしてほしい」といってきたんだ。当初の理由は「なにか入試関連で貼りたい掲示物がある」ということだったけど、それに対して「隣のスペースを調整できないか」と提案すると、こんどは「大学の顔となるロビーの活用として、レイアウト的にも全体を広報用として統一したい」と、前とは別の理由を伝えてきたよ。あれれ?おかしいぞ。

 大學堂新聞

すぐに「これまでの経緯も踏まえた上で、きちんとした話し合いをしたい」とメールを返したんだけど、その返事は全くなかったよ。そして一週間後に「標記スペ−スの件ですが、先般ご連絡したとおり、本日より入試に向けた広報用として全面を使用させていただいております。・・・」という内容の素っ気ない通告文が送られてきたんだ。

実はこの総務課長とは、この直前に、学内に設置したミツバチの巣箱をめぐってトラブルがあった。耐震工事のために巣箱をすぐに移動してほしいといわれ移動させたら、こんどは学内に蜂に刺された人がでたので(当初は4人といわれた)巣箱を撤去してほしいといわれたんだ。

もし事実であれば謝罪する必要があると考え、巣箱もいったん学外に移し、具体的に名前が挙がった方ひとりひとりに、直接お会いしたよ。しかしその結果、それらの情報は、なんと全て事実無根だったと判明した。嘘の情報?どういうこと?

結局この件は、最終的にようやくその1年後(つまり今年の10月なんだけど)に、同じ総務課長から、情報はまちがっており事実が確認できないことを認める調査報告と、本人の謝罪文が書面でとどいたよ。なので、まあここではこれ以上は不問にするけど、当時はとっても一方的で高圧的なあつかいをされていたわけ。

そんなタイミングで同じ総務課長が明確な理由を示さず、突然掲示の撤去をいいだしたのね。なんか変だよね。でも、それと巣箱の件はおそらく別件と思う、いや思いたい。だって、それがプロの仕事だし、大人の対応というものだよね。

あるいは本当の問題は、掲示の内容だったのかもしれないね。そのとき掲示されていたのは「大學堂新聞」の一号。それぞれの学生たちの個人の活躍に注目してもらうために、学生たちが取り上げられた実際の新聞記事をコラージュしてつくった新聞の新聞だった。そのなかに大学(+文科省)がすすめる「グローバル人材」という言葉に対して「ローカル人間」て宮武骸骨流のウイットが入っていたんだ。(上の新聞の画像をクリックすると拡大して読めるよ)。

まるで方広寺の鐘銘事件のようないいがかり。でも、さすがに総務課長は、それが理由だとは、いわなかったよ。そんなことを表だって理由にすれば学内で大問題になることくらい解っているだろうからね。たぶんマスコミだって動くしね。かといって掲示物を強引に剥がすわけにもいかない。

そんなわけで表面上はむりやり別の理由を作って、メールでの通告を最後に、掲示物の前にパネルを置き、強引に大學堂新聞が読めないように隠蔽してしまったよ。これがそのときの写真。両脇も旗でブロックして固め、この風景ある意味、すごいよね。


今あらためてこの新聞を読んでも、この程度の内容を隠すほうがどうかしていると思うけど、百歩譲って、まあ、そういう感覚は人それぞれとしておいてもよい。バナナという言葉に、なにか課長の過去のトラウマに触れるものがあったのかもしれないね。


ここで「言論の自由」とか「思想統制」と騒ぐつもりもないけれど、せめてこの総務課長ときちんと話し合いをしたかったと思うよね。繰り返すけど、話し合いに対する先方からの返事はなかったんだ。むろん、いくら内容について議論したところで、彼も掲示物の内容が撤去の理由だとは決して認めないだろうしね。

さて、そんなこんなで一年がたった。くだんの掲示スペースは「大学の顔となるロビーの活用」といいながら、どこにでもありそうな市松模様のパネルがどかんとおかれ、だれも読まないできあいのポスターがべたべたと貼られているだけ・・・。なんだかこれでは、センスのかけらもないよね。前以上に雑然としてしまったこのスペースは、ふたたびだれからも見られない残念な場所になってしまったよ。


事務局長は二年の任期を終えつつがなく定年退職を迎え、別の人がやってきて捲土重来。入試広報課と相談し、ふたたび「大學堂新聞」の2号を作成し掲示したよ。それがつい先週のこと。これもネットで見られるようにしてあるよ。(下の画像をクリックしてね)。

 大學堂新聞

さて、こういう話を読むと「まあ、自分とは関係ないし、どこかの大学のうちわの問題なのだろう」と思う人もいるかもね。あるいは「ひとりの教員と事務員の間の感情的なトラブルだろう」なんて軽くあつかわれちゃうかな。


でも、ちがうのだ。最後にこの写真を見てほしいよ。たぶん、ほとんどの北九州市立大学の学生や教員や職員が、まだ気づいていないだろうと思う。


2年前までは「受付」となっていた掲示印が、知らない間に「許可」に変えられているよ。北九州市立大学のだれが、いつ、このアイデアを発案して、だれが決裁したのだろうね。こんな案件、教授会にはあがってこないよね。

大学だけではない、社会の硬直化や管理化は、こうやって真綿で首を絞めるように、他人事だと思って沈黙している人たちに気づかれぬよう、こっそり狡猾に進められるみたいだね。



ちなみにこの掲示印を「当局検閲印」と書いた枠内に押してもらったのは私。印を押す人やそれを見る人に、ここで起こっていることがどういう性質のものなのか知ってもらうためにわざわざ作ったよ。またしても宮武骸骨先生をオマージュして。諧謔のきいた皮肉ですむうちはいいけど、いずれ彼らの本気になったときには、そんな遊びもできなくなるね。そんなわけで、この掲示物も、またトラウマのしっぽをふんじゃうかも。

P.S.
誤解してほしくないのは、北九州市立大学全体が悪いのではないってこと。わたしのブログには北九大の教員や、職員、卒業生、同窓会の読者もたくさんいると思うので、名誉のためにも書き添えておくけど、北九大は他大学に比べても、むしろ自由でリベラルな雰囲気のある、とても良い大学だとおもうよ。だからこそ、まだこういう意見が書けるのね。

問題なのは、組織の中で自分の権限を勘違いした、たった「ひとりかふたりの人間」。全体主義や管理主義など国家がファシズムを標榜するようになると、それに便乗する形で、全ての組織の中に必ずそういう人があらわれるみたい。これは北九大だけの問題ではないのです・・・貴方の隣にもほら・・・。

そして、もう一つの問題は、無関心や事なかれ主義のうちに、知らない間に変なことが決まってしまい、やがて後戻りができなくなるということ。おかしなことを止めるためには互いの情報を共有し、それぞれの持ち場から小さな声で「NO」というしかないと思います。

この一連の事件に対しては、いつも新しい掲示を楽しみにしている職員の方や多くの教員から声をかけてもらっていたので、実際に学内で気にしている方はたくさんおりました。そんなところも、北九大はいい大学です。心ある卒業生や学生たちもいるしね。でも、かわいいミツバチが人質になっていたので、私自身は、一年間ずっと我慢をしてきました。これはそうした方々に対する現状のご報告とお返事でもあります。ありがとう、これからも小さな声で応援してね。