2013年2月24日日曜日

「もし」が呼びかける先に

仙台より南下し、阿武隈川周辺の津波のあとをめぐる。


案内してくれたのは、この地域の元校長先生。


淡々と語る地震の日の記憶は、数多の「もし」で埋め尽くされていた。もし学校が半日出校でなかったら、もし携帯からの連絡がなかったら、もしあのときすこしでも迷っていたら、・・・もし・・・。


もし、もし、もし・・・。



呼びかけるその言葉の向こうには、多くの知人の非業の死がある。ありえたかもしれない過去がある。学校から海まで海から2キロ。わずかな高低差が生と死を分けた。わずかな時間差が生と死を分けた。そしてその紙一重の結果の今がここにある。


もし、私が彼だったら・・・。むき出しの平原の真ん中に立ちながら、私の想像力は、隣にたたずむ彼の視野の先を、追いかけようとし、しかし、決して立ち入れないその日の風景に怯え、ただ震えるばかりでその場を動けない。


枯死した松林のなかに建てられた、真新しい墓地の向こうには、がれきを燃やす火が光っていた。