そうやってよく知っている実際の人を、この物語に重ねてみると、ここに描かれている私たちの世界がたどってきた歴史と、現実の時間が、さらにくっきりと見えてくる。
さほど厚い本ではない、半分以上読み進めても、特別ななにかが起こりそうな気配はない。残りのページはわずかなのに、この物語はいったいどこに漂着するのだろう。読めば読むほど不安と期待をかき立てられる。こういうすてきな物語に共通するのは、このまま終わってほしくないという焦燥だ。
遅島は架空の島だ。たぶん甑島はそのモデルのひとつだ。そんな島を私も訪ねたことがある。世界遺産になって観光客が訪れるようになる前の屋久島。わずかな数の人々が宝物を慈しむように暮らしているトカラ列島の悪石島。旅行者の滞在を禁じていたバヌアツの孤島フツナ島は観光客に島を開き、海岸の崖に独特な集落を作っていた宮古の伊良部島にはまもなく橋が架かる。
物語では、人と生物がともに生きる世界の豊穣さが繰り返し語られる。本当はとても悔しい気持ちだ。失われつつあるものへの悔しさもあるが、私自身の悔しさもある。私もこういう本が書きたい。人類学者としてこういう研究がしたい。私ははやく自分の「海うそ」の話をしたくてたまらない。島のどこかに海うそは確かにいる。私もみせてもらったことがあるから、知っている。
「海うそ」梨木香歩 著 岩波書店 (2014/4/10)
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