それは小さな法則の相互作用によって、意図せずできあがった壮大で複雑な模様だ。その模様こそが世界の美しさの正体である。
複雑系や関係性の科学を知ったときの驚きは今でも忘れられない。これは私にとってのコペルニクス的転回だった。
自然の秩序の美しさは神様が作るのではない、物質どうしの小さな相互作用から創発されるのだ。社会の秩序の美しさは国家が作るのではない、個人の相互作用から創発されるのだ。
美しいものにふれたときに、ついつい、神様が先にいて、道徳や文化などの決まり事が先にあって、と思いたくなる気持ちはよくわかる。信仰や信念はそうして生まれる。
でもはっきりと断言しよう、それは間違っている。すでに神も王も死んだ。しかしあいかわらず世界は美しい。
自然科学も社会科学もセントラルドグマの時代ではなく、エレメントの相互作用を問わずしては成り立たない。経済や政治のみならず、法や教育もおなじである。単純な法則の相互作用が複雑な秩序を作っている。
さてでは、なぜ人はその複雑な模様を美しいと「わかる」のか、実はそれが私のライフワークである。