論理や理性をできるだけ使わないで、どこまで人間を操作できるかというのがこの実験の主眼である。なので表向きの理由はなんでもよい。「これはただの楽しいゲームです」で、かまわない。操作するために必要なら嘘を使ったり、本当の目的を隠してもよい。むしろ、本当の目的が知られると警戒されるので、それはできるかぎり隠蔽されるはずだ。
テレビやインターネットなどのマスメディアを使って、大量なシンプルメッセージを一斉に配信して錯覚を起こさせる。大げさなイベントを起こしてそのメッセージをさらに強化する。欲望を刺激する適度な報酬を与える。関心を集めるために、あるいは注意をそらすために、時にはあえてわかりきった嘘を交えて混乱させる。人々が好みそうな特定の情報ばかり与えながら同調性を利用し、あたかもそれが世間で当たり前になっているかのような印象をつくる。道理や事実ではなくイメージや雰囲気が大事である。
すでにインターネット上ではこの実験は成功している、ごく少数の人によって架空の話やデマを作り、それを繰り返し拡散するサイトを用意し、検索の機能を巧みに使い、参加者にちょっとしたご褒美や、他人から注目される快感をあたえることで、匿名の多くの人々を無意識に特定のサイトに誘導することも、特定の考えに同調させることも、炎上させることも可能であることが明らかにされている。
現在おこなわれている実験は、おなじことがバーチャルなネット上だけでなく、アクチュアルに実在する社会でも可能かどうかというものである。
バーチャルリアリティ(仮想現実)とアクチュアルリアリティ(実在現実)。ふたつの現実は簡単には分けられない。人間の脳は、バーチャルな現実による快感とアクチュアルな現実による快感を区別することができないことがわかっている。麻薬・化学調味料・性的映像・ゲーム・ギャンブル・お菓子。近代社会は、低コストで人間の欲望を満たすための仕掛けを次々に発達させてきた。
生物として不可欠な食料を得るための狩猟採集や、繁殖するためのつがい形成(恋愛のことね)をシステム化し、その欲望=脳の快感を巧みに利用した仮想現実が、若い人たちを虜にしている。
実は子どもと大人ではふたつの現実に対する反応が違うことがわかっている。実在現実の中で育った大人は仮想現実を実在現実のフィクションとして楽しめるが、まだ現実が確立していない子どもは仮想現実を優位化してしまう。「おたく2世」の世代がすでに大学生になり、新聞やニュースですら物語の中の仮想の事象が、実在する重たい政治的課題よりも大きく取り上げられるようになってきた。実在と仮想の垣根は考えられているよりもずっと低い。
実在の現実は非常に面倒でコストがかかる。たしかに仮想の現実を作るためにも大きな資本が必要だが、ひとりあたりにかける費用をトータルで割れば仮想現実は比較にならないくらい低コストだ。たとえそんなチープな現実でも、それで安易に欲望が満されるのであれば人はいとも簡単にはまってしまう。
いったんそうした仮想システムさえできあがれば、人々の意識をコントロールするのは実にたやすい。たとえば実在現実は物理的に存在する事実から逃れられないが、仮想現実は嘘でもファンタジーでも成立するのだから、望まれる物語を好きなように与えることができる。資源の制約もないので量産も簡単だ。本来そうしたシステムは、物を売るためのマーケティングの手法で使われていた。広告を利用して仮想の現実を作り、欲望をかき立て、特定の商品を買わせる。
しかし、すでにそれは消費だけでなく政治や社会、つまり人の価値観や人間関係まで入り込んでいる。この先、身体に束縛された実存よりも、仮想世界につくられた理想の人格の方が大切だと思う人が増えてくるだろう。友達に対しても、自分自身にとっても・・そんな仮想の人格を、むしろ表にだしたがる人が増えてくるだろう。
さて、今は2016年7月である。この稿の最後にひとつ予言しておこう。特定のアプリを持った人どうしが街中で、追跡や殺人、あるいは集団で戦争をするというアプリがいずれ作られ、これが実在する現実につながる大事件を起こし問題になるだろう。その事件は交通事故や崖から落ちたりクマに出会うなんていうお笑いのレベルではない。死ぬのはアプリの中の人格かもしれないが、アプリの所有者が他のユーザーとの関係性の中で築いてきたひとつの現実の人格である。