だからこれは、もはやまったく敗北の思想で、負け犬の遠吠えといわれてもよい。もともと勇ましいことをいう人間でもないし、楽観的でもない。むしろかなり前から悲観的だった私が、それでも今もこうして政治について語っているのは、何とかしたいという気持ちよりも、結局は未来に対する言い訳にすぎないと感じている。
せめて未来の子孫たちに、当時の(つまり今の)私は、この政治状況をまったく認めておらず、なんとか止めたいと思っていたことだけでも伝えておきたいと考え、たぶんこんなものを書いているのだ。
私の身近な知人たちは、この竹川大介という人間が、およそ政治向きではなく、むしろ普段は無党派もいいとこで、つるんだり徒党を組んだりする人になじまず、長いものに巻かれようとする付和雷同を何より嫌い、たとえば学内政治にも派閥争いにもほとんど関心がない人間だということをよく知っている。
実際、政治的な振る舞いや党派性は昔から苦手で、特段の思想や信条やこだわりもなく、まあ、しいていえば科学主義者であり合理主義者であり個人主義者であり自由主義者だろうか、あるいは冗談のように食と自然とアニミズムを信奉するなどという。そして集団よりは個人を、マジョリティよりはマイノリティを、党派組織よりはネットワークが大切だと考えている程度の人間である。
基本的にはどんな組織でも、どんな権力でも、巨大化すれば必ず腐敗すると疑っており、神や宗教にも期待を寄せず、カリスマやアイドルにも無関心、しかし決して人間不信ではなく、最終的に信じるべきは、身近な人との個人的な信頼関係だと考えている。
普段の姿勢がそんな私だけに、よくこんなふうにネット上で政治のことを書くのがかえって不思議だと、ときどき言われる。それは、どうしてなのかと尋ねられることもある。
たいした理由はない。シンプルにお昼ごはんや、小動物や、旅行の話題と同じように、自然に政治の話ができるような社会が健全だと思っているからなのだ。政治の話だけがタブーだなんて、なんだかそういう考え自体が、まるでだれかに都合よく洗脳されているみたいで、とても気持ち悪いのだ。
それは小学生の時だったか中学だったか、「治安維持法」という法律をはじめて学校で習った。やがて多くの人々を苦しめ死に追いやる全体主義と監視社会が大日本帝国をおおい、日中戦争から太平洋戦争へと破局に向かわせた、その最初のきっかけが治安維持法だったと習った。しかも広島と長崎に原爆が落とされるまで、日本人自身の力でその状況を止めることができなかったのだと。
そのころの私は、どうして当時の大人たちがそんな恐ろしい状態を許し、どうして途中で止めることができなかったのか、それが本当に不思議で不思議でしかたなかった。
「人々は悪い権力者に騙されていたのだ」と説明する大人もいた。
「熱狂に浮かれて判断力を失っていたのだ」と説明する大人もいた。
「政府は報道を管制し反対する者の口をふさいだのだ」と説明する大人もいた。
「昔の人はいろいろよくわかってなかったのだ」と説明する大人もいた。
だれの説明が正しいのか解らなかったが、とにかくまたそういう社会になったら、とても嫌だなと思っていた。
大学に入り、民主主義が全体主義におちいるメカニズムについても考え、腐敗した権力が最も好む状態が暴力であり戦争であることも知ったが、どうすればそれを止めることができるのかを考えているうちに、現実の政治が再び一人歩きを始めた。
今の日本の方向性は、明確に間違っており私たちの未来を危険な方向に導いている。たとえそうだとしても、きっとどうにかなるはずと考えるほど楽観的にはなれない。この日本の政治的な腐敗と劣化は、今に始まったことではなく、すくなくとも20世紀末の小渕内閣のころから一貫して進んでいる。すでにもう20年近く止められていないのだ。
ただ今日は歴史の記憶として書いておこう。2017年5月19日組織的犯罪処罰法という名の「共謀法」の採決が強行された。自民党と公明党と日本維新の会の議員は全員それに賛成し、法案は可決された。
権力を握り暴走する為政者とそれを支持する人々の熱狂に対して、個人の力など無力である。そのうえマスコミすら権力になびき、反対者が排除され、監視によって異論が封じられることになれば、社会は沈黙にむかい、ますます真実など見えなくなる。
さほど遠くない未来に、私は黙ってしまうかもしれないし、黙らされてしまうかもしれない。
選挙という「民主的」な方法で多数を握った政治家の、好き放題な横暴と虚言、それを簡単に許してしまう私たち。私は子どもの頃の「なぜ」という疑問にまだ答えられていない。ほんとうに未来の子孫たちに申し訳ない気持ちだ。そして多大の犠牲の上に70年間平和を守ってきた祖先たちにも申し訳ない気持ちなのだ。
だからこれは、もはやまったく敗北の思想で、負け犬の遠吠えといわれてもよい。もともと勇ましいことをいう人間でもないし、楽観的でもない。むしろかなり前から悲観的だった私が、それでも今もこうして政治について語っているのは、何とかしたいという気持ちよりも、結局は未来に対する言い訳にすぎないと感じている。
せめて未来の子孫たちに、当時の(つまり今の)私は、この政治状況をまったく認めておらず、なんとか止めたいと思っていたことだけでも伝えておきたいと考え、たぶんこんなものを書いているのだ。