2020年5月28日木曜日

プレリードッグ戦略考

 今日は「引きこもり」の生存戦略的意義について書いてみよう。行動を抑制し引きこもることは、生物学的に見て必ずしも不適応な行動ではない。環境条件によっては「引きこもり」は適応的な行動となる。

 たとえば地球には夜と昼の時間があり、光が少なく視覚が使えない夜の時間に活動を低下させじっとしている生き物は多い(逆に視覚に頼らなければ夜も活動できるが)。暗いときにはむやみに動き回るよりは、じっとしてた方が捕食者につかまらず生き残る確率が高くなる。そうした夜間の行動抑制が、神経系の進化にともない、やがて睡眠という形で記憶の定着や大脳の休息に利用されるようになるのである。

 食料の少ない冬の時期に代謝を低下させて冬眠したり、種の状態で仮眠したりして、厳しい時期を乗り越えるというのも同様の引きこもり戦略である。季節性うつ病と日照時間の関連を指摘した重要な研究がある。日照時間が短くなると、うつ病傾向が高まり、その治療法として人工的に強い光を浴びるというものだ。特に北欧などの高緯度地方に生存する人類にとって、冬の間の行動抑制は、生き残るために重要だったのだろう。

 それどころか実際のいわゆる社会的引きこもりも、社会のストレスから、自分の生命をまもるための適応行動から来ている可能性がある。ストレスにさらされ続けて、死んでしまうよりは、引きこもって生きていた方がましというわけだ。そうするうちに、いつか外部の状況はかわるかもしれない。

 さて、しかしながらこの行動抑制戦略には大きな欠点がある。危険から逃れることはできるが、それだけ生きていくことはできない。生命はそもそも代謝をし活動することで存在しており、岩や石のようにじっとしているだけでは命をつなぐことができないのである。食料も必要だし、他個体に出会い子孫も残さなければならない。

 なので抑制と活動が最適な状態となるように、全体の行動のバランスがとれている必要がある。たとえばセロトニンはおだやかな安寧をあたえ、ドーパミンは欲望を刺激し活動をうながす、こうしたホルモンのバランスが崩れると、私たちはうつ病や依存症になる。


 さて、プレリードッグは乾燥した過酷な環境にすむ草食性の齧歯類である。天敵としてはコヨーテなどの大型の哺乳類や、タカがいる。穴にこもっていればそうした敵から逃れることができるが、ずっと穴の中にはいられない。乾燥した土地で、限られた草を食べて、生きていかなければならない。

 そこでプレリードッグは見張りを立て、天敵が近づくと相手に応じた合図を出し、一斉に穴に潜る。「来たら隠れる」という戦略である。いっけん弱気で臆病な戦略に思えるが、見方を変えれば非常に勇敢な行動でもある。危険をかえりみず、穴の外に出て活動するための柔軟な能力である。

 すでに気づいている人も多いと思うが、感染病の流行期における適応的な戦略として、この「来たら隠れる」というプレリードッグ戦略が有効なのではないかと私は考えている。常にふたつの行動の選択肢を残しておくというのは、決してどちらでもよいというあいまいな意味ではない。それぞれの行動は、状況に応じて適切に選択されなくてはならない。タカがいないのに隠れていても意味はないし、タカがいるのに草を食べていては自分が食べられる。

 つまり「活動するか」「引きこもるか」の機械論的な二元論ではなく、「来たら隠れる」つまり「活動しつつ抑制し、抑制しつつ活動する」という、はっきりとメリハリをつけた柔軟な状況論的戦略が、動的平衡が支配する生物の世界では非常に有効なのである。いわば、ここが天災や事故とはことなる、対生物戦略の要である。