北方シネマでは、いま「春画と日本人」というドキュメンタリー映画を特別にオンデマンドで配信しています。この映画について私が書いたエッセイを、こちらに掲載します。まだ映画を見ていない人にはちょっとネタバレですが、ことさらに隠さなければならないようなネタは、あの映画にはないような気がします。すべては明確で、すべては明かなのです。
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摩訶不思議な逆風がいまもまだ吹いている。海外で絶大に評価されている春画が、なぜ日本ではすんなりと展示できないのだろうか。春画を巡る日本人の曖昧な態度はいったいどこから来るのだろうか。
明治以降の西洋化の過程で生じた、日本人の性愛に対する奇妙に屈折した態度の正体を、この映画「春画と日本人」は、春画の展覧会を巡るさまざまな出来事やコメントから明らかにしようとしている。
明治期の「美術界」では、春画への抑圧と入れ替わるように西洋から入ってきた裸体画(ヌード)が賛美され、美術教育に取り入れられていく。春画と裸体画の対比は、典型的な象徴として低俗な日本文化と高尚な西洋文化の対比に置き換えられる。このときつくられた西洋文化に対する日本人の屈折したコンプレックスは、150年後の今でもまだ、私たちの心を縛っているように思える。
春画は「芸術」の対極にあるものとして、わいせつというレッテルが貼られ、犯罪として取り締まりの対象となる。しかし、その根拠はきわめて希薄で曖昧なものであった。やがて西洋の美術界が、日本の春画を高く評価しはじめると、ゆっくりと風向きは変わった。販売や出版も許され、人の目につくようになり、春画を巡る時代の雰囲気は1980年代までに、実はすでに大きく変化している。
にもかかわらず、いや、もっと奇っ怪なことに、しかし、それからさらに40年が過ぎた今に至るまで、日本の美術界の中では、春画はまるで腫れ物のように継子扱いされ、公の場では存在を無視され続けてきたのである。
この状況は、芸術が求める創作的な価値観とはかけはなれ、まるでまったく文化を理解できな者たちによる政治的な振る舞いのようにすら思える。しかし一見そこにはなんの政治的背景はないようにも思える。いったいなにが原因なのだろう。誰が止めているのだろう。恐れるものはもうなにもないのに不安の記憶だけが残さている。
ただひとつの理由として思い当たるのは、そう、例の「忖度」である。森達也はその著書「放送禁止歌」の中で、根拠のない自粛や規制の構図を指摘している。春画をめぐる忖度は、放送禁止歌の自粛と、同じ構造を持っている。だれが悪いといっているのか、もはやよくわからない。
そんななかで、大英博物館ひらかれた春画展は大成功に終わった。そして、日本での巡回展の企画が立ち上がった。里帰り展である。なんの問題もないと思われたその企画が、皮肉なことにこれまで見えないようにしていた日本の美術界の屈折した構図を、あからさまにしてしまった。
これがこの映画の主題の一つである。日本の公立の美術館は、つぎつぎに理由もなく春画の展示を断ったのである。明確な議論することもなく。
ここで私はもうひとつ、名古屋市長である河村たかし氏の発言が発端となり、安全上の理由から展示が中止となった「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展を思いうかべる。さまざまな別の理由を作り上げて、どんなに政治性を隠そうとしても、「忖度」は、それ自体きわめて政治的な行為なのである。
さて、そうした「あいまいな日本の私や政治」については、この稿の最後にもういちど考えることにして、そもそも春画とはどういうものかについて、映画の内容に即しながら少し書いておきたい。
実は私は1988年に出版された福田和彦の「艶本・魅惑の浮世絵―華麗なる官能美の世界 」を持っている。無修正の春画が一般書店で販売されたものとしては、ごく早い時期の大判の画集である。書店では中が見られないように、ページの半分は袋とじにされたまま折り込まれて販売されていた。そのころ印刷屋でバイトをしていた私は、裁断機で閉じられた部分を裁ち切り、自分用に製本した。
あれほど隠されていたにもかかわらず、その中身はおよそ隠微なものとはほど遠く、むしろ笑いすら誘う誇張された滑稽なものだった。いずれにせよ一人でこっそり見るような代物ではないと、まず思った。実際にそれを見たがる友人とともに、面白がりながら本を開いたが、今でもこれが春画に対する正しい態度であるような気がする。
私は当時もうひとつ、赤瀬川原平と吉野孝雄が編集し、合本として復刊されていた宮武外骨の「滑稽新聞」も持っていた。それと並べてみると江戸と明治の連続性や、日本の絵画が持つ批判の精神がよく理解できる。歴代の為政者が恐れていたのは、わいせつ性などではなく、春画に含まれているこうした毒だったに違いない。
実際に江戸時代においても、春画は一般の浮世絵と区別されることはなく、戯作とよばれる人々の娯楽のひとつであった。『ブリタニカ国際大百科事典』には「春画は単に好色な男性のためのものではなく,多くの老若男女が愛好した。その根底には「男女和合」の精神があり,性をおおらかに肯定する気分が横溢している」とある。春画は庶民だけではなく大名にも愛好されたものであった。
春画は別名、艶本、枕絵、笑い絵、ワ印と呼ばれている。ワ印のワは、わいせつではなく笑いのワである。やはり春画には、床をともにする男女が、面白がりながら、ふたりで笑って見入るといった、ほのぼのとした風景が似つかわしい。
実際に結婚する女性に春画を持たせるという習慣は昭和の頃まで残っていたし、春画の展覧会での来場者も女性の方が男性よりも多かったという。男も女も性愛を楽しみ、その不思議さを面白がる。それだけではなく豊穣と繁殖の象徴として、春画はお守りのように使う。それが本来の日本の性の文化であった。
ネットで春画の記述を調べていたら、こんなサイトを見つけた。春ール。https://shungirl.com/
この女性は「春画にはハマりまして」という本まで出している。春画で表現されている幸せそうな男女の表情に注目し、いろいろな妄想をかき立てている。そんなエッセイを読みながら、当時もこんなふうに、まるで今のBLマンガでも読むように、女性たちが自分たちの表現として春画を楽しんだ習慣があったのではないかと私は感じた。
さて一方で、こうした春画の一部は大名や商人によって高く取引され、ここに美術品としての浮世絵の最高技術が集約されていく。映画によると、当時の浮世絵師で春画を描かなかったものはいないという。そしてその技術は、今の彫り師でも再現できないレベルの高度なものであるという。春画が持つさまざまな制約の中で、かえって多彩な表現が花開いた。美術品としての春画の評価は、まさにこの点にある。
明治期に海外に流出した日本の春画は、ピカソをはじめとする西洋美術にもさまざまな影響をあたえ、貴重なコレクションとして愛蔵されていった。
性やそれに対する羞恥心を、神に対する原罪だとして抑圧するキリスト教社会。愛の宗教と自称し愛の精神性を賛美しながら、一方で身体性を伴う性の行為に関しては、いびつなまでに貶め不可視化してきた西洋文化。ルネサンス期の15世紀にヒエロニムス・ボスが描いた「快楽の園」の中で描かれた性愛のモチーフは、その後の西洋美術史から再び消えてしまう。
20世紀に入って、そうした価値観を外部化し、人間の身体を再評価し、現代芸術へと向かわせたのは、おおらかな性を表現するプリミティブアートや日本の春画だった。戦争という文化暗黒の時代を通じて、わいせつ物というレッテルが貼られ、犯罪として取り締まられ、なんども喪失の危機を経験している。さらに皮肉なことに、日本人の性意識そのものが、キリスト教的文化背景も持たぬまま、純潔主義や精神主義そして男性原理におかされて、明治期の白人コンプレックスを抱いたまま、いびつに西洋化されていく。そう「家畜人ヤプー」の完成である。
さて、話が近代に戻ったところで、最初に保留しておいた「あいまいな日本の私や政治」について考えてみよう。もう一度問う。春画展に躊躇し、それを自粛しようとする、私たちのメンタリティはいったいどこから来るのだろうか。
保守を自称する人々は、性の規範に厳しいのだそうだ。しかしその実態はいかにもあやしい。彼らは性に対して独特な倫理や規範を求める一方で、どこかの政治家弁護士の発言からもわかるように、たとえば性を商品化して売買することに対しては、まるで別のもの扱いのように容認し、時には擁護すらする。しかし、性にまつわる暴力や権力性、男女の非対等性に関しては、不思議なほどに論じようとしない。貧困や社会的な格差、政治的な状況をまったく無視して、経済行為における自己決定や、無知による自己責任をたてに、一方的で差別的なままに性の商品化擁護の論を進めるのだ。
そう、すでにお気づきの通り、あの「あいちトリエンナーレ」の事件と、この春画の映画が描いている出来事は、じつは全く同じ根っこを持つものものなのである。異性や異文化に属する人たちを、人間ではなく物として平然とあつかってしまう貧困なメンタリティ。表現の文脈をすら読むこともできず、それをただの記号としてあつかってしまう偏狭なメンタリティ。強制的に従軍させられた慰安婦たちを売春婦と貶め、それであれば許容されるのだと嘯く、性に対する歪んだメンタリティ。そうしたメンタリティと、春画の隠蔽はどこかでつながっている。
そして近年のLGBTに対する保守の人々の言説を見ても、まったく同じことがわかる。彼らには多様な他者の存在への視点が完全に欠落している。異なる性のあり方を否定する彼らの言説には、自己中心的で一方的な見方しか示されていない。
さて、性愛において他者の存在は不可欠である。江戸の春画には愛し合い悦ぶ二人、それどころかそれを覗く第三者。そんな絵を見ている人も加えればさらに超越的な第四者までもが存在する。ここに描かれている表現は、何一つ隠されず、おおらかに他者に開かれた性愛の姿なのである。
曖昧な態度で自粛し隠蔽する日本の人々は、本来は個人のものであったはずの性愛に、国家や権力や制度を介入させることを潜在的に許してしまっている。LGBTであっても愛は愛である。そう、きわめて個人的な。愛し合う者たちが、それぞれ好きなように愛し合いたいという思いに介入する権力ほど、野暮なものはない。
もちろん春画に嫌悪を感じる人もいるだろう。それは、しかたのないことである。「見ない」という選択はもちろん残さなければならない。しかしそれは「見てはならない」ということでは決してない。
リスクを負いたくないから、不快なものをわけもなく覆い隠そうとする。正体のわからない不安や恐怖こそが、こうした忖度を生み出す。そんな恐怖をのりこえるためには、まずは別の価値観を知り、それについて相手の視点から考えることである。可能な限り偏見を持たないで自分で考えること、それを重ねていけば、たとえ偏見を払拭することができなくても、せめて自分の偏見を自覚することくらいはできるようになるだろう。まずは、それで十分だ。
春画の展覧会は「ひとつの種をまいた」と映画で語られていた。私たちも、そこから小さな芽が出るようなディベートを、この映画を見た学生たちとおこいたい。
そして、うちの大学には数年前に文学部が鳴り物入りでたちあげた「文化資源論」という一連の講義科目がある。北方シネマでのこの映画の上映が決まり、対談について文化史言論の担当の教員(私もその一人なのだけど)に呼びかけてみたが、どういうわけか今に至るまで沈黙が続いている。もう一度、呼びかけてみよう。