2020年4月2日木曜日

SDGsとは現代の免罪符である

『グリーン・ライ  エコの嘘』
この映画見に行きたい。もし新型コロナウイルスの影響で映画館がガラガラなら、今のうちに行くべきかな。悩ましい。

http://unitedpeople.jp/greenlie/

SDGsを明快に否定したグレタ・トゥンベリの発言を今でも覚えている。彼女の直感に私も完全に同意する。

私自身、矛盾しているし、容認もしている、批判は甘んじて受ける、しかし、そこに葛藤があるし、疑問があるということも知ってほしい。

なので私も生態人類学者としてきちんと発言していこう。私は、SDGsやさまざまな環境認証制度が、地球規模の環境問題の解決になるという証拠を、いまもってひとつも知らない。これだけ世間で騒がれながら、ひとつも知らないのだ。

たしかに、そうした取り組みをしている知り合いの研究者や友人は多い。しかし本当に申し訳ないが、彼らのどんな話を聞いても、私が納得できたことは一度もない。せいぜい彼らの口から聞けるのは、「そうはいってもやらないよりはまし」「実際の効果よりも人々の意識の問題だ」「ほかに良い方法があるのなら教えて欲しい」

友人たちよごめん。むろん地球環境に対する危機感は共有している。決して地球温暖化が陰謀だなんていう愚かな言説を認めるつもりはないし、このままで大丈夫だなんて少しも思っていない。むしろより強い危機感を持っているつもりだ。

すでにいろいろなところで書き、講演もしている話であるが、この問題の解決には、私たちの生活を一変するような、もっと抜本的な思想が必要だと考えている。サステイナブルではない全人類軌道修正の覚悟を背景にした。

そうした意味で、SDGsや環境認証制度は、原因を誤魔化し、問題の焦点をずらし、解決を遠のかせる、むしろ害悪だと考えている。これらの施策は、現在の経済活動をこれからもずっと(サステイナブルに)続けていきたい、企業や消費者(とくにセレブと呼ばれる富裕層)の、後ろめたさを解消させるためだけの魔法の言葉だと思っている。


その証拠に大企業や行政(やお金が欲しい大学)がこぞって飛びつき、そこには大きな利権すら生まれているではないか。まさに金がなる木、現代社会の「免罪符」そのものなのである。