新しい試案がそのまま実現できると考えている人は、再整備委員会の中ですらひとりもいない。現実的に市場の中の合意形成も容易ではない。春に試案が出されたときに、市のコメントをそのまま流してしまったマスコミの報道は、全くそうした背景を見ていなかった。
現実に1つの案が進んでいく中で、それに納得していない多くの人たちがいる。そういう人たちの意見に耳を傾け、より多くの人が旦過という場所に誇りを持ち、市場を応援してくれるような姿を示したいと考えている。
いみじくも森尾会長がいっていたように「一番良いのは今の市場がこのまま残ること」である。それと同時に、「このままではだめ」で、老朽化対策や衛生面など魅力ある公共空間として環境整備を進める必要がある。それに異論を持つ人はひとりもいないだろう。市が描いた災害対策という被害者視線の絵をいくら強調しても、それをそのまま鵜呑みにする人はいないし、その発想からはよいものは生まれない。商売人はもっとしたたかだ。
「治水もするけれど、市場も残す」それは不可能ではないと思っている。いや、それどころか水辺と市場にはもっと多くの可能性があるということを、今回のシンポジウムで示されたのではないかと思う。
だから、これは市場の存続にとってピンチではなくチャンスなのだと思ってほしい。
たとえば、最後の発表者である浅枝さんの「ウエットランド案」などには、講演のあとも多くの人から反応があった。私がイギリス住んでいたときもちかくにメドウ(Meadow)とよばれる遊水池が沢山あり、雨の多い季節は湿地で、夏になると多くの人々に愛される草原が広がった。たしかに、とても魅力的で現実的で有効な提案である。役人と違い、商売人は融通無碍に機をうかがう。いや、役人だって現実を知っている人はもっと柔軟だろう。こんなことを考えはじめると、おとしどころはまだまだ沢山あるように思う。
今はまだ駒を並べただけで、勝負所ではないと思っている。「市民の意見」という駒が手に入ってはじめて、そうした大きな話も可能になる。その時には、市も国もマスコミも味方である。
私は主催者として白か黒か、賛成か反対かから考えるのではなく、もっと大きな視野からスタートしたいという思いを語ったつもりだ。シンポジウムに込められたさまざまな文脈がどこまで伝わったのだろうか。やはりすこし、むつかしかっただろうか。
すこし自画自賛を許してもらえるのであれば、そういう意味で、このシンポジウムがおこなわれた11月13日は、旦過市場にとって歴史的な日になるだろうと思う。参加した人たちはその歴史に立ち会ったのだ。多くの人が集まり、目撃したということに意味があるのだ。
奇しくも同じ日に、旦過市場の未来を示す、もうひとつの歴史的な出来事があった。旦過市場全体を使ってハリウッド映画の撮影ロケがおこなわれたのだ。これも初めてのことだ。
大阪を舞台にした終戦直後の日本をえがく「ジ・アウトサイダー」という映画で、当初は大阪と東京でロケをする予定だったのだが、マーチン・ピータ・サンフリト監督が旦過市場をとても気に入り、北九州ロケが決まったと聞いた。
制作の人は、これだけの風景を、もしセットでつくると、3億円くらいかかるともいっていた。
旦過市場のもつ可能性は、水辺の生態系サービスに限らず、この街にこれからもさまざまな経済効果を生み出していくはずである。
電話をかけてきた方が17日に大學堂を訪ねてきました。電話とは違い温厚な方で、はなしをすると私たちの趣旨を良く理解してくれました。