北九州から愛媛には毎晩フェリーが通っている
石鎚黒茶の最後の継承者、曽我部夫妻さんをたずねる
2014年の春に石鎚の山道を40分ほど歩いた中腹に住む曽我部夫妻に出会った。
90を越えるふたりは、この山の中で焼き畑をしながら自給している。
しかし、家には誰もいなかった。ふたりは山を下りてしまったのだろうか。
以前に訪ねたときにお茶を入れてくれた縁側に座る。生け垣が高くなり石鎚山が見えなくなっていた。
焼き畑には、新しく植えられた杉が育っていた。
裏庭にはゆずが、たわわに実をつけていた。
石鎚山の頂には、うっすらと雪が積もっていた。
消沈して山を下る。かつての石垣で囲まれた田畑に杉が育っている。
摘まれることのないお茶の木が自生している。
古い墓石だけが、当時の歴史を伝えようとしている
ここだけではない、日本中の多くの山村で、今まさに同じ事が進行している。
車道まで降りてきたが、このあたりもずっと廃屋が続く
曽我部さんの消息をしりたくて立ち寄った「山の駅」に、地域おこしをしている元気な面々がいた。とつぜん新市長もあらわれて話が盛り上がる。