2015年2月21日土曜日

奥間川の清流(やんばる旅その4)


奥間川での昔の生活を描いた「清流に育まれて」という冊子をさがしたが、役場や図書館でも見つからず、著者の親川栄さんを紹介していただき、お話しを聞きに行く。

ユルヂ山の地図「清流に育まれて」より

とくに興味があったのは、ユルヂ開墾地についての聞き取りの記載だ。ヤンバルの山の奥で人々がどんなふうに暮らしていたのか。ヤンバルというのは地域の人にとってどんな場所だったのか、そんな話を親川さんからうかがった。

ユルヂ開墾地は与那覇岳の中腹に位置する奥間川の上流域に開かれていた。かつては十数軒の家が建ち、畑も作られていたが、今はすべて森の中に消え、その痕跡をわずかに残すばかりである。

村の周りにはクスノキが植えられ、国策としての樟脳生産の拠点となっていたが、台湾から安価な樟脳が入るようになりやがて衰退する。炭焼きや藍の生産もおこなわれていた。豚も飼っていた。今でも豚便所(フール)の遺跡が住居跡のとなりに見つかる。こどもたちは、ここから3時かかけて海岸部の小学校まで通っていたらしい。

かつてのユルヂでの暮らしを経験した人々が、いまも奥間にすんでいる。親川さんが興味を持っているのは、山の地主と雇い人との関係。どういう契約で彼らが山に入ったのかそんな資料を探しているという。

人々が去った後、清流、奥間川にもダムが造られる計画が持ち上がった。幸い計画は中止され美しい環境はのこされたが、人の生活を包み込んでいた豊かな森が、コンクリートのダム一つで破壊される。どこかで聞いたような話がここにもあった。

親川さん自身も地主のひとりだ。いまでも休みの日は山に通う。ユルヂの近くにとても気持ちの良い場所があり、そこに二畳ほどの板をしいて、半日座禅を組むという。なんだかステキだ。わたしもそういうのがいい。バードウオッチャーは双眼鏡を持ち一生懸命に鳥をさがそうとするが、そんなことをしなくてもただ座っているだけで、鳥たちはやってくるし、さまざまな森の生き物の気配を感じることができるという。


買い出しをお願いしたまま、待たせていたほかのメンバーと、やんばる野生生物保護センター「ウフギー自然館」で合流する。環境省がつくったこぎれいな学習施設だ。そこに次々とマングースバスターズたちが帰ってくる。バスターズは森の中にこんなにいたのかとおどろく。


マングースの駆除は一定の効果を上げているらしいが、人が放したマングースを駆除するのは大変な作業だ。一度壊した自然を回復するためには莫大な費用がかかる。


経済というものは不思議なもので、何かを作り消費するところまではなにかと細かいが、その跡かたつけやうまくいかなかったときのコストは過小評価される。コストまで含めての自由主義経済だと思うのだけれど、尻ぬぐいは税金に押しつけて急に社会主義みたいになる。おいおい、そりゃないでしょって感じ。