2015年2月21日土曜日

コザ十字路に向かった(やんばる旅その2)


沖縄市。コザという地名を聞けば、ある世代より上の人たちは、ベトナム戦争の時代のコザ騒動を思い浮かべるだろう。沖縄の中で、もっとも雑多で危険な街。しかし中心街の胡屋地区をはじめ、コザの十字路にある銀天街も、今ではそんな気配すらない。


その直接の原因はゴヤ騒動の風評のためでも、ベトナム戦争が終わり米兵の数が減ったためでもない。むしろ本格的な衰退が始まったのはバブル時期以降である、決定的なのは2000年の大店法の撤廃だった。皮肉なことに、これはアメリカの外圧による政策転換だった。


そしてこの大店法の撤廃は、いまも日本中の中心市街地を衰退させている元凶となっている。街づくりや市街地活性化事業にさまざまな税金が使われているが、元はといえば大手流通産業による商業地域の寡占を優遇したみかえりに、弱体化した小売店や商工会に対して建設系コンサルを経由してあたえられた小さな飴にすぎない。そしてこの飴もなめているうちにやがてなくなるだろう。


そんな地域社会の空洞化の最先端を走っているのが沖縄である。戦争で焦土と化し、公共交通のインフラが貧弱だった沖縄では、生活のアメリカ化とともに車社会が進み、建設ラッシュで毎年のように新しく作られるショッピングモールに人々は群がる


コザ銀天街のアーケードはまるで廃墟のようなさびれようだ。しかし、よく見ると、なにか新しいことが中で起きはじめている。小さな店が開き、若い人が住み始めているのだ。


そう、ちょっと面白いことが始まっている。それは、リノベーションなどという、この頃はやりのおしゃれで気取ったムーブメントではない。むしろ九龍城のような、いや、まるで秘密基地のような、路地裏の密やかな楽しみである。この1月にコザ十字路に現れた琉球絵巻の巨大壁画がその象徴である。


数年前にリヤカーを引いた平良さんが旦過市場の大學堂を訪れ、その後、私もコザを訪ね、さらに、小倉から沖縄に移住した山口さんがこの銀天街に住み始め、コザの人たちとのつながりができた。


銀天街の高田爬虫類研究所沖縄分室 Dinodonは、むしろこの街にふさわしい。大谷さんの解説に、一緒に訪ねた魚部メンバーは興奮することしきりだった。銀天大学での宴会が始まると、つぎつぎに地域の人たちが集まってきた。


いつの時代でも文化というのは、ショッピングモールやファミリーレストランからではなく、こんな街の隙間から生まれるのだ。