2015年2月21日土曜日

ヤンバルの森・朝(やんばる旅その6)

写真をクリックして拡大すると、澄んだ水の上を泳ぐおおみずすましがみえるよ

翌朝は、ユルヂの近くの散策からはじまった。沢の淵にオキナワオオミズスマシが群れている。目が回りそうな早さだ。そして大きい。刺激するとフルーツのような甘い匂いをだす。冬とはいえあたたかな沖縄の水の中には、水生昆虫たちがうごめいている。


ゲッチョ先生が落ち葉を探りゴマガイをみつける。老眼のわたしには小さすぎて見えない。自然観察の醍醐味は、よく知っている人と一緒に歩くことだ。しかしうっかりしていて、前から気になっていた巨大ドングリのありかについて聞いておくのを忘れてしまった。残念である。また次の機会に尋ねてみよう。


藪の中をよく見ると、炭焼き窯や畑の石積みなどかつて人が住んでいた跡が残っている。ほとんどのものは朽ちたり土に埋もれてしまっているが、陶器の破片だけは腐葉土の中で白々とよく目立つ。森の生活はどんなものだったのだろう。湿気や蚊は不快ではなかっただろうか。


ソロモンやバヌアツの熱帯雨林での暮らしを思い出す。森の音を聞き、森の匂いをかぎながら、その片隅に焼き畑を焼いて暮らす人間の暮らし。そんな自然との共存と緊張関係は、すべての自然を引っぺがした上に作り上げた、単調な街での暮らしとはずいぶん違う。





林道にあがり、与那覇岳への入り口に移動して、登山道を歩き、さらにちいさな沢を遡上する。ここは奥間川の源流だ。探しものは、そろそろ出ているかもしれない冬虫夏草。沢筋を歩くのは気持ちが良い。


そしてここにも炭焼き窯の跡があった。陶片もたくさん落ちている。ヤンバルは原生林ではなくて人の手がはいった里山だったのだ。琉球王朝の交易をささえた、やんばる船は木材を首里に運んでいた。奥深い山ではあるが、人々の生活と密着した森だったのだ。


藍を発酵させていた藍壷のあと

沢の周辺を歩き、山の中でゲッチョ先生と別れる。ゲッチョ先生は那覇に戻りこれから東京へ。私たちはさらに北上し奥集落へ。


排泄物を餌に豚を飼う豚便所(フール)のあと

せっかくここまで来たのだから、もうすこし森の中を迷う時間がほしかったが、夕方までに奥にいくという約束がある。時間に追われながらのスケジュールは自然観察には向かない。あらかじめ予定を決めずに、心地よい場所をみつけ、そこにテントを張り、いたいだけいるのが私が好きなスタイルだ。しかし、今回は人も多く、それぞれの都合も気にしなければならない、それにはじめてのヤンバルで、まだいってみたい場所が残っている。先に進もう。


車に乗って大国林道をさらに北にむかう。冬のヤンバルの稜線は、葉を落とした木々の幹がまるで白骨のように続いているのが印象的だった。