2015年6月9日火曜日

「美瑛の丘のおもちゃ屋さん」を訪ねる

「美瑛の丘のおもちゃ屋さん」を訪ねた。長い間ずっと気になっていた場所だ。


今の店長の陽一さんのお父さんの征次さんが、まだここでパン屋をやっていた10年ほど前に、そのパンを九州から買っていた。その頃にもいくどか計画を立てながら、なかなかかなわず、今日まで訪ねることはできなかった。


丘の上のおもちゃ屋さんは、絵の中の風景のように、美瑛の丘の上に建っていた。月並みな表現になってしまうけど、本当にそんな感じなのだ。はるかに広がる畑の真ん中に、白い塔がすっくと建っていた。そこに、ようやくたどり着き、一番喜んでいたのは私の父かもしれない。


私の父と征次さんは従兄弟同士。ということは、つまり、私のおじいさんと、陽一さんのおじいさんは兄弟なのである。


これが南の島であれば、たぶん同じ村に住むとても近い親戚なのだが、日本ではそれぞれにそれぞれの生きる場所があり、ほとんど知り合うこともない。私もお会いしたのは実は今回が初めてだった。


陽一さん夫妻は、訪ねてきた私たちを歓待してくれた。征次さんが手作りで建てたという家の中は、今は陽一さんがあつかうおもちゃに囲まれ、とてもあたたかな雰囲気だった。積もる話もあり、おもわず長居してしまった。


それにしても、別々の場所で互いのことを知らずに生きてきたにもかかわらず、物の考えや人生への姿勢に共通するところが多いのに驚く。たんなる偶然の積み重ねなのかもしれないけれど、身近に住む親戚が少ない私にとって、血の不思議を感じるひとときだった。


木や布でつくられたドイツのおもちゃ、友達や家族で遊ぶカードゲーム、何度も読まれて汚れた絵本、そしてツリーハウス。私自身の心をくすぐる物がそろっている。もちろんこの自然豊かな風景も。


近くの子供たちをあつめた野遊びや、自然の中での子育て、ほんの少し話しただけで、いろいろが結びついていく思いがした。


北海道は今はいい季節である。不思議な縁でつながる陽一さん夫妻は、厳しい冬の暮らしの中を生きている。なにか強いやさしさを持っている人たちだと思った。南の島の強い太陽の下でのその日暮らしが、すっかり身についてしまった私にとっては、その祈るような静けさが心に残った。

2015年6月6日土曜日

北海道博物館の展示

リニューアルした北海道博物館に行った


北海道の歴史を先史時代からたどることができる。先住民と開拓の両方を展示するのは難しい課題だが、むしろ歴史の多面性をもっと強調してもよいと感じた。


これは海獣(?)の埴輪。かわいい。


さて、中でも興味を引いたのは、この展示だった。
見学者が投票し、結果が掲示され、集計される、参加型の展示。

「あなたはヒグマと共存できる?」


ヒグマとの共存というテーマも興味深い。
ピンクが「退治してもらいたい」
みどりが「退治しなくていい」
しろが「どちらでもいい・わからない」
そして、それぞれについているコメントがおもしろい。秀逸なコメントを、いくつかピックアップしてみよう。


現実的な対応と空想的な対応。
ピンク:「くまがでてくると人がおそわれるのでたいじしてもらいます」
みどり:「かわいくてけがふさふさしているから 」


おくびょうなどうぶつなのは夫かだろうか・・・敵として認識されるのもこまる・・・。

しろ:「熊は、ときには人間をおそう事もあるけれど自然の生き物を殺すことはあまりしない方がいいとおもう」
ピンク:「絶滅されるのもいやだけどやっぱり食べられる方がいやだ。クマと人間は共存できない。クマが『てき』としてにんしきするかもしれない」
しろ:「夫 おくびょうなどうぶつ」


おなじ「こわい」でも、ちがう対応。キャンプで出るとさすがに「こわい」。
みどり:「こわい」
ピンク:「こわくてキャンプにいったときも出た」


ストレートな表現と、正直な葛藤
みどり:「すき」
しろ:「かわいいけどちょっとこわい」


クマが最もこわいのは人間の子供かもしれない
ピンク:「たべたい」
みどり:「こわいけど いっしょにクラシたい」


下の写真は展示されていたクマのスプーン。細やかな細工に愛を感じる。
昔も今も、北海道の人にとってクマは身近な動物であることがよくわかった。


北海道博物館から見た札幌の街。かつての北海道は、すべてこんな森に覆われていたのだろう。


2015年6月2日火曜日

地球温暖化との戦い

 朝、研究室に来ると、室内の温度はすでに34.7度を示していた。私の部屋は最上階にあり、前日の太陽光が屋上のコンクリートに蓄熱され、夜間も室温がまったく下がらない。


 学内はCO2削減のため冷房が停止している。本館の奥にある事務室で28度を超さないと空調はつけないという。しかし、そこは学内の中でももっとも涼しい場所なのだ。空調はフロア単位で稼働できるのだけど、基準が全学一律というのは、かなり無理だと思う。

 日差しが強まる5月の中旬から、ずっとこんな状態が続く。なにせここは九州である。


 しかし、私の友人には太平洋の気候変動戦士がいる。太平洋各地で起きている地球温暖化による被害の事を考え、ずっと我慢してきた。私のこの努力で待機中のCO2濃度がすこしでも下がればと、呼吸もこらえているような状態だ。まあそれは冗談だが。私自身は熱中症と脱水症を防ぐために、裸になって、水をがばがば飲み、汗だらだらでも仕事はできるが、問題はパソコンである。


 30度を超えると、、ハードディスクのファンが異常な音を立て、しばしば熱暴走しハングアップ。一昨年は数万円のモニターをひとつダメにした。

サーキュレーターと扇風機をつかって屋外の空気を強制的に入れているが、もともと空調を前提に作られた鉄筋コンクリート建ての建物だ、窓が狭くこれではまったく間に合わない。30度まで下がるのは昼過ぎで、午後にはそこから西日がはいりだし、再び気温が上昇する。


 講義室も場所によっては高温になり、未確認だが、熱中症で倒れた学生もいると聞く。

 そそそろ限界だ。事務に掛け合うしかない。連絡すれば、あわてて室内の温度を測りに来て、あまりの状態に驚いてくれる。そこから交渉が始まる。担当が変わるたびに毎年これの繰り返しだ。まあ、ずいぶん掛け合ったので、それでも今はだいぶ対応が速やかになった。

 太平洋の友人たちには、申し訳ないが、地球温暖化との戦いの前線を、すこしだけ退却させてくれ。ていうか、すでに私も地球温暖化の被害者かも・・・。