2012年4月24日火曜日

人の住む世界と人の住まない世界

「自然学のまなざし」の受講生をを中心に学生20人と夜の小文字山を登る。眼下に広がる光の海。環境学を学ぶ前に、山に住む精霊や気配を感じ取り、自分の身体を確認するための「自然技法」を学んだ方が良い。人の住む世界と人の住まない世界のそれぞれの作法を知っておいた方がいい。虫も触れない人が、有機野菜や地球環境について語るのは、どこか歪んでいるんじゃないかな。

参加した人。写真どうぞ。お持ち下さい
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2012年4月16日月曜日

花のなかに春の朽ちる


花の春に 鄙をおとなう


若宮の山中にしだれ桜をたづねし 道すがら 
古き酒蔵を みつけたり


麹室の入り口あらはに 赤錆びし 琺瑯の樽のころぶ


並びし棟も すでに風雨に朽ち


往年の賑わひ はかなくも
蔵人たちの面影 黒々と地に消ゆ。


香に誘われ 路地を行けば


紅き桃花のもと 媼たたずむ


夕されば 光のうちに


最期の輝きをのこす そのせつなよ


山中のしだれは いまをさかりに 
明日知らぬ身の 春をたのしむ

2012年4月15日日曜日

装飾古墳ざんまい


九州北部は装飾古墳の宝庫である


中でもこの王塚は、入り口両脇の緻密な描写の馬たちと、玄室を覆い尽くす幾何学模様が異様な空間を表現している。



そして、昨日と今日は古墳内部の特別公開の日
http://www.town.keisen.fukuoka.jp/ouzuka/index.html



遠賀川流域の古墳や遺跡も同時公開し、全国から古墳ファンと考古学マニアがやってくる。
http://www.town.keisen.fukuoka.jp/ouzuka/contents/event/onga.html


北九州に住むぼくは、そんな古墳に気軽に足をはこぶことが出来る。ラッキー。




二日続きで、古墳ざんまいの週末だった。




王塚古墳の壁画は戦前に発見されたため、保存がうまくいかず色あせてしまっている、かたや竹原古墳の壁画は、粘土におおわれ保護されていたので、いまだ鮮やかで美しい。


冒頭の写真は竹原古墳の壁画。奇怪な怪獣とバテレン宣教師のようなあやしい服装の人物像。


いったいこれはなんだろう。


特別公開の日は年に二回だけ古墳の中を見ることはできるが、保護のため写真は撮れない。ここに載せた写真は印刷物からとった。王塚古墳はレプリカ、竹原古墳は本物の写真をレタッチしたものである。

2012年4月8日日曜日

姫路の銀河鉄道

みなさんはすでにご承知と思いますが、分子の間に働く力とは、かのファンデルワールス力であり、人類学者が現場で働かせる力は、フィールドワーク力ともうします。ファンデルワールス力はあまねく宇宙に働く力で、フィールドワーク力はあまねく人間の世界に働く力であります。

よろしいですか。同じ場所に行き、同じものを見たふたりの得られた情報は、わたくしとあなたとでは、かほどさまざまに違うのです。そうした有限の宇宙時間の中で、その場の交流点を瞬時に嗅ぎ取ってしまうような力こそが、まさしくフィールドワーク力なのです。


「ご通行の皆様きれいのがお好き。私達はここにゴミ 吸殻は捨てません。」


最初は、銀河鉄道というよりは、まるで山猫軒のような看板でした。



すみません、サザンクロスに行きは、ここでよいのでしょうか。


しかし、いくらどんなに探しても、あたりはしいんとして、だれもみあたらないのです。


「まもなくサザンクロス行きの汽車が発車いたします。」
構内に突然、ふしぎな声が響きわたり、ごごごと汽車の音がきこえました。


待ってください。乗ります。


カムパネルラは、もう乗ったろうか。


青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。


白いモダンな建物のなかに、汽車は停まりました。
ここは、銀河の中心なのでしょうか。そうにちがいありません。


蔓草が柱にからみ、今にも覆いつくそうとしています。



ぼくらは、いったいどこまで行くのだろうかねえ。


やがて列車は、家々の屋根の真上を越え



宙空に向かって、駆けのぼっていきました。



そうして、何時間も何時間も、銀河系の風景は後ろに流れていき、ずうっと遠く小さく、絵のようになってしまい、またすすきがざわざわ鳴って、とうとうすっかり見えなくなってしまいました。

ふと気づくと、サザンクロス駅についていました。


「元気な顔を見せて下さい。」
ぼくらははたして元気だろうか。おかあさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。
そうです、この真っ赤な光は、サソリの火なのです。


そこには「ぐじゃ」を焼く人が、おりました。

「よく見つけたね。偶然かい。あんたちこのあたりの人じゃないね」
「ええ、ぼくたち銀河ステーションから来たんです。」
「あの汽車まだ動いていたんだね。子どもの頃にみたきりだよ」
「あのう、ぼくたち、おなかがすいているんです」
「ちょうどいい、ぐじゃがあるよ」



くじゃを焼く人は、笑いながらクレープのようなその薄皮をはがしました。


そうしてドロドロと黒いソオスをかけるのでした


そのあとはサラサラと青いノリをかけるのでした


ぐじゃを食べ終わると、こぢんまりとならんだ町を歩きました。しかし、ここは、まったくといってよいほど、空間と時間が歪んでいる町に思えました。

いまどき、クリープを入れないコーヒーなんて。
それにその看板は、店の名よりも広告のほうが大きいように見えました。


いまどきの、イケメンのチャンポンめん。



すべては、幻灯の中の一瞬の風景だったのでしょうか?


あるいは、あれは銀河鉄道ではなく阿呆列車だったのでしょうか。

あの日は学会のためにたくさんの人類学者が姫路の駅前に降り立ちました。そのうちの何人が銀河ステーションたどり着くことが出来たでしょうか。もしやすると、そのまま石炭袋に堕ちていった者もあったにちがいありません。