2015年4月10日金曜日

愛するものを守るために

勉強熱心なあのひとも、この本を読んであの島に行ったに違いない。
「ペリリュー・沖縄戦記」 (講談社学術文庫)


ネトウヨの方むけにいえば憂国日本人必読の書。これを読まずして、今の沖縄は語れない。そしてその後の広島・長崎への原爆の運命も、すべてこの硫黄島とペリリュー島の戦いから始まる。私自身も数年前にこの本を読み、「ああそういうことだったのか」といろいろな不条理に納得がいった。そしていつかペリリューを訪ねてみたいと思った。

勇猛な兵士たちが愛するものを守るために、必死になって戦えば戦うほど、引き返せなくなり、状況は悪化し、悲惨な事態はエスカレートし、結果的により多くの愛するものたちを死に追いやることになる。

残念ながらこの不条理は皮肉や偶然ではなく必然だ。「本当に愛するものを守りたければ、戦いをやめなければならない」繰り返すがこれは、敵も味方も、正義も悪も、主義や主張も関係のない、冷徹な歴史の必然だ。

では、いつ「戦わない」と踏みとどまるのか。戦いはいったん進み始めると、止めようとする力を押しつぶしながら破滅にむかって級数的に加速する。そもそもまだ情報も言論も保証されている平時にすら止められないことを、政治も経済も学問も人々の気持ちも、あらゆる力が戦争遂行というひとつの目的に合流していく有事の時に止めることなど、とうてい無理である。

国を憂うあのひとも、まさに今その島で、いつ踏みとどまるべきなのかを考えているのかもしれない。私たちもそれを考えなければならない時期がきたようだ。