2014年9月18日木曜日

日本よ日本

日本よ日本 愛する日本
緑の日本 青い海


田ノ浦にいった。上関原発の予定地の浜だ。その名も長島という橋で繋がった細長い島のさらに先端に、まるで秘密基地のようなその場所はあった。


ALSOKの制服を着る警備員が、予定地と集落の分かれ道でのんびりと立っていた。車に近寄り話しかけてくる。ここは公道なので積極的に立ち入りを制限することはしないが、道が狭くて大変ですよと、この先に行ってほしくないニュアンスをそれとなくおわせる。


さらに車を進めると、道沿いに「危険ですので立ち入りはお止めください」と書かれた掲示板がいくつも続く。これも奇妙な言い回しだ。公共地である浜に人が降りることを禁止する法的根拠はないため、穏健な圧力をにおわせるだけで「立ち入り禁止」とは書けないらしい。


車で奥まで行き着くともう1人警備員がいて、ここより先は中国電力の土地であるという。しかし、浜自体は公共地。浜に降りるための山道が敷地の横にフェンス沿い続いている。あくまでも低姿勢な警備員に「ここをまっすぐ行けばつきますよ」と丁寧に教えられ、フェンスの隙間の道を浜に向かう。


蚊に刺されながら20分ほど歩き浜にでた。急に視界が開ける。浜には金網の中にピコーンピコーンと大きな電子音を立てる奇妙な円筒状の装置が3器並んでいた。何に使うのだろう。そして、どこかで見たような風景。そうそう、まるでかつての近未来の物語にでてきた禁忌の中心だ。未来少年コナンがインダストリアに潜入するような気分。ここは三角塔の中心部か。それともアキラが封じられたオリンピック予定地だろうか。


旧世界の大人たちが起こした過ちが封印されている場所。ほんとうにそんな場所が、今の時代の日本にあったのだ。私たちの時代はすでに「悪」は穏健な顔をしている。


目の前に祝島の集落が見える。手が届きそうな距離だ。美しい青い海。緑の山々。この故郷を守りたいという気持ち。それは純粋にこの素敵な郷土を愛する気持ちだと思う。


愛する郷土をお金や暴力によって強引に奪い踏みにじる、そこにどんな正義があるのだろうか?たとえば祖国が外国からの経済的あるいは軍事的な圧力によって蹂躙されようとしているときに、それに抵抗し戦うのが愛国心であるとするならば、愛郷心と愛国心はひとつながりのものである。


上関は「鳩子の海」の舞台でもある。瀬戸内海は、この国の人々がかつて犯した過ちと、その結果おきてしまった悲劇をずっと見て来た海である。広島で被爆し記憶を失った鳩子が逃げのびてきた海である。


日本よ日本 わしらがお国
まだ守れるぞ 時間はあるぞ
ドドンガドン


旧世界大戦の後に生まれた新しい世代が、再び同じ過ちを繰り返そうとしている。封印されたはずの力を解き放とうとしている。いつのまにかまた熱病のような力への欲望がこの世界の空気を覆い始めている。


原子力発電に賛成の人の反対の人も、次の戦争に賛成の人も反対の人も、まだ平穏な今日のうちに、力を封印されたまま、不気味な装置の電子音だけが鳴り響くこの田ノ浦の風景を、自分の目でみておいた方がよいと思う。なかなかほかでは見られないすごい風景だ。そしていずれ見られなくなるかもしれない風景だ。今はまだ穏健な顔をしている私たちの時代の「悪」の姿だ。まだ守れるか?時間はあるか?ドドンガドン。