2014年12月10日水曜日

私がなかなか理解できないこと

私の身の周りのほとんどの人が(たとえばフェイスブックの「友達」のほとんどが)思想信条にあまり関係なく、ふだんから発言したり望んだりしているのは、およそ以下のような日本の未来像だろう。

平和を求め、自然エネルギーの利用を進め、国内の農業や水産業の保全し、安定した正規雇用を望み、老後の安心を保証し、子孫に富を継承し、政治の健全性を確保するため情報公開を促進し、地域社会の伝統や役割を大切にし、性や出自を越えた生きるための機会の公平性を望み、近隣諸国と友好関係を築き、民主的で尊敬される国家。

しかし、多数をほこる為政者たちが現実に進めようとしているのは、真逆の日本の未来である。

戦争に傾斜し、核エネルギーの利用を進め、国内の農業や水産業を衰退させ、不安定な非正規雇用を増加させ、老後の不安をかきたて、子孫に負債を押しつけ、不都合な政治を隠蔽のため情報支配を促進し、都市部に財を集中させ、性や出自を元に経済格差の固定化をはかり、近隣諸国との緊張を高め、独裁的で傲慢な国家。


なぜ、こんな政治家ばかりが選挙で勝つのか、その理由がなかなかわからない。私の交友範囲と、彼らの支持者がかさならないからなのだろうか。

幸か不幸か、私の身の回りには持株の上昇に喜ぶ人も、円安の輸出差益で笑いが止まらない人も、軍事産業や原発利権で儲けている人もほとんどいない。

むしろ残業は増えるのに給料よりも物価が上がり、円安によって輸入資材が上がり自分たちの仕事が安売りされ、軍事費や原発事故の負担で重くのしかかる税金を汲々と払い続けている。

その一方で今の与党は、インフレと円安をすすめ、国民が一生懸命働いて得た国内貯蓄の貨幣価値を下げ、負債がたまりすぎた赤字国債をチャラにしようと目論んでいる。そして、その結果生じる貧困と不満のはけ口のために、近親憎悪の感情をかきたて、戦争の準備を着々とすすめている。

不安定な現状に耐えきれず、かえってこの破滅的な提案に乗ってしまう「友達」もいるのかもしれない。


さらに別の理由を考えてみる。たまたま生まれた時代が悪かったのだろうか。

人々の投票行動を決めているのは、政策や経済や、ましてや日本の将来などという現実や理念ではなく、もっぱら過去の怨念や世代間の葛藤を背景にした、時代の雰囲気や個人的感情なのかもしれない。(そもそも今の首相自身の政治選択がだいたいそんな感じだしね)。

たとえばそれは、
人生の終わりが見えてきたアラ70「団塊世代」の、最後の自己中心的現世志向だろうか。
無気力、無関心、無責任といわれ、いつの時代にも鬱屈し続けてきたアラ60「しらけ世代」の、政治的逆襲だろうか。
新人類と持ち上げられた後は、役に立たずさんざん馬鹿にされてきたアラ50「おたく世代」の、古き良き時代への因縁返しだろうか。
バブルに乗り遅れ結婚も就職もできなかったアラ40「ロスジェネ世代」の、破滅願望だろうか。
ノリと同調性が命のイケイケ万歳アラ30「ネトウヨ世代」の、ヤンキー的勘違いだろうか。
まあ、おとなしくて争いごとを好まないアラ20「コミュ障世代」は、政治にいよいよ関心がなく、あんまり選挙にもいかないだろうからすでに大勢に影響はない。


陰謀説も検討してみよう。やはり日本はアメリカの属国なのだろうか。たとえば、こんなふうに政治的な話を書くと、経験上、20代の「友達」はほとんど「いいね」を押さない(押すのは40代より上ばかりなり)。ある世代から下にとって、政治に対する意思表明は完全なタブーになっている。「街で見たへんな猫」や「ちょっとハッピーな昨日の私」なんて話題であればむしろ積極的に「いいね」なのにね(それと「誕生日」とかって、ある種の脅迫的洗脳だよね)。

これってはやりのポジティブシンキング?それとも不安と恐怖による抑制行動?テレビかそれともインターネットの、なにか特殊な情報によって去勢されている?影にいる電通やフェイスブックが心理操作してる?そんなこんなでサイレントマジョリティは、すでにアイドルとかネトゲの、バーチャル現実で十分に満足しているのかな?


さて私は政党政治は民主主義の鬼子だと思っている。

ファシズム的な覇権主義を目指そうとする政党も、宗教を利用した集票政党も、共産主義的な国家主義を目指そうとする政党も、これらの政治団体は決して封建時代の遺物ではなく、20世紀の民主主義の時代にになって、新しく生まれた怪物たちである。私は個人的には、そうしたどんなパーティに対しても賛同したい気持ちが起こらない。

だから、政党中心のこういう仕組みの民主主義の社会で、政治参加をするためには、毎度毎度、政党を考えず「人」に投票するしかないのである。日本の未来と、郷土を愛する観点から、できる限り時間をとり、よくよく候補者の主張と人柄を吟味して、相対的にましな人に入れる。悪い人には絶対に入れない。

しかし残念ながら、そして、ただでさえ死票が多い小選挙区制を採用している日本の国政選挙で、私が投票した「人」が当選したことはこれまでほとんどない。むしろ暴言を重ねるいわゆる有力候補者(おそらく財界の回し者か、官僚の天下りか、だれかの二世なのだろうけど)ばかりがはびこる。比例区にいたっては政党名しか入れられず、政党が並べた順番で当選者がきまる!あまりに、ひどすぎる。

それでも投票し続けるのは、すでにマゾヒスティックな快感の領域である。負け札にかけ続けるのも悪くはない。

ただひとつ、そんな私が一番残念なことは、選挙が終わるたびに、望んでもいない政策が、「選挙によって民意を得た」などと、正当化され実行しまうことである。でも、それは、「うそ」である。

のちの歴史家の検証のため、そしてまだものが言える今のうちに、はっきりいっておくが、戦前の治安維持法のような特定秘密保護法が施行され、原発の再稼働が認可され、非正規雇用と格差社会が進められた結果、このさき日本にどんな未来が待っているとしても、私は一度だってそんなものに同意した覚えはない。望んだことだってない。そんなふうに国民に責任を押しつけるのなら政治家という仕事は不要である。